「しあさって」が「あさっての翌々日」だと? 方言周圏論から方言コスプレまで、方言のあゆみを知る

社会

公開日:2015/11/20


『滅びゆく日本の方言』(佐藤亮一/新日本出版社)

 千葉県の人と東京都区内の人が、待ち合わせの約束をする。「シアサッテ、○○で会いましょう」と。当日、どちらの人も指定した場所にやってきた。しかし、2人は会えなかった。千葉県の人の「シアサッテ」は、“あさっての翌々日”だが、東京都区内の人の「シアサッテ」は、“あさっての翌日”だからだ――。

 これは、「シアサッテ」の地域差を表した笑い話だ。「シアサッテ」は、共通語では、“あさっての翌日”。だから、千葉県人といっても今の現役世代では、このような事態は起きないはずだ。しかし、70年代頃までは、東京都区内を除いた東日本のほぼ全域で、「シアサッテ」=“あさっての翌々日”という認識が残っていたらしい。『滅びゆく日本の方言』(佐藤亮一/新日本出版社)から、「シアサッテ」について詳しく知るとともに、方言研究の一端についても紹介しよう。

 著者の佐藤氏は、1979年に出版された方言研究の本を基に、「シアサッテ」の意味の地域差を日本地図上で塗り分けている。これを見ると、関西以西は「シアサッテ」、三重の「サアサッテ」、愛知・静岡西部の「シガサッテ」をはさんで、関東以東は「ヤノアサッテ」だ。しかしなぜか、東京23区内だけは関西と同じ「シアサッテ」となっている。

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 現在の共通語は、東京の言葉をもとにした言葉だ。しかし、「シアサッテ」は関西出身でありながら、共通語となった言葉なのだ。もともと、東京を含む東日本では、“あさっての翌日”のことは、「ヤノアサッテ」と表現していたのだが、「シアサッテ」が西から入り、東京区内浸透に成功、共通語化される。すると、もともとあった「ヤノアサッテ」は、1日後ろへずれ“あさっての翌々日”となったのだとか。つまり、「明日→アサッテ→シアサッテ→ヤノアサッテ」というわけだ。

 こうした言葉の移動に注目した学者といえば、民俗学者の柳田國男だ。柳田は1930年に『蝸牛考』にて「方言周圏論」を発表。言葉はみやこ(京都)から同心円状に拡がっていくという論を発表した。これは、京の言葉が、水たまりに水滴を落とした時の輪のように、各地へ伝わり、遠く離れた地域にその言葉がたどり着いた頃には、京ではその事象は別の言葉で呼ばれている、というものだ。

 近世までは、このように、言葉は口伝えに ゆっくりと地域を渡って いくものであった。ところが、近代になると、政府が中央集権国家を猛スピードで作り上げるために、標準語を定め、強制的に教育を行った。標準語を定めるということは、言葉に正しさ、優劣の感覚をつけるということでもある。日常生活に、標準語とは違う言い方やアクセントを使う者、つまり地方出身者の心に、強い「方言コンプレックス」が生まれたのはこの時からだ。戦後になると、強制的に使わされているという感覚を取り除くため、標準語は共通語と呼び変えられる。しかし、これだけで方言の尊厳が復活するはずもなく、60年代の高度成長期には、集団就職で上京した若者が、方言を笑われて自殺するという例が何件も起きた。

 現在では、このような暗い話も過去のこと。方言のとらえ方は、前向きで明るいものになっている。小学校の学習指導要領では、「発音のなまりや癖を直し、必要に応じて共通語で話す(1968年)」から、「方言・共通語は身につけるべき大切な能力(2008年)」に。NHKの番組『にほんごであそぼ』では、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」や金子みすずの「私と小鳥と鈴と」の方言訳を放送。現在の十代、二十代に、方言が劣っているという意識はない。

 加えて、本書で注目しているのが、「方言コスプレ」だ。これは、方言が、キャラ作りのアイテムとして利用され、自分の生まれとは関係なく、それぞれの方言のイメージを利用することで、その場を演出することを指す。例えば、つっこみには「なんでやねん!」、純朴さを装って東北弁…などだ。ドラマやアニメでも、つっこみ役は関西出身者、都会慣れしていない純粋な役は東北出身者に設定されていることはよくある。こうした場合の台詞には、現在実際に使われているかは問われず、分かりやすく、地域イメージを喚起しやすい方言が採用される。

「ふるさとの訛なつかし停車場の~」も不可能となり、消えていく方言を懐かしむ意見もある。しかしそもそも言葉とは、時代とともに変化していくもの。方言に劣等感が付きまとう時代より、コスプレと命名されるほど遊べるようになったことを喜ぼうではないか。

文=奥みんす