人工知能にも負けない!? “編集デザイン”力とは? 多様性を受け入れる共生社会に適応していくヒント

社会

公開日:2015/11/25


『これからのメディアをつくる編集デザイン』

 今や誰もがネット上で簡単に発信やPRができる時代。コミュニティや企業による、オウンドメディアも増加中だ。しかしやはりそこには、編集スキル+αの知識がどうしても必要になってくる。『これからのメディアをつくる編集デザイン』(フィルムアート社+青山学院大学大学院社会情報学研究科ヒューマンイノベーションコース:編/フィルムアート社)は、すべてのメディアユーザーに表現の武器をレクチャーする新時代のメディア表現の教科書として、ネットユーザーを中心に話題となっている一冊だ。本書を企画・編集したフィルムアート社取締役の津田広志さんと、編集部の川崎昌平さんにお話をうかがった。

フィルムアート社取締役 津田広志さん
編集部 川崎昌平さん

 編集デザインとは、「自明とされていることを何度も疑い、いろんな異なる意見をコラボレーションでまとめ、言葉にし、その知をデザインし、面白いメディアにする行為」「外向きの表現」「これからのメディア」を目指すものです。

――まず、本書の冒頭でも触れられている「編集デザイン」というフレーズが、とても斬新に感じられたのですが。

津田広志さん(以下津田):今から15年前、まだSNSがなかった2000年代初めあたりに「オーディエンスはただ読むだけでなく、表現するべきだ」というコンセプトで本を出し続けていたんです。すると並走するように“脚本の書き方”や“映画のつくり方”といった方向性の本、つまりアイデアのアウトプットを解説した書籍が支持されたのです。そのことから、今後人々はよりアクティブに自分で発信する形に動いていくのではないかと予測したのが始まりですね。

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 また、当時から東京工業大学と青山学院大学大学院で新しいメディアづくりの講義を行っていたので、現場での蓄積もまじえて、発信する際に重要なポイントやメディアのつくり方をHOW Toではない形でまとめてみようと。そのキモとなったのが“編集をデザインする”という発想でした。

――昨年の発売当初から、ネットでの反響は大きかったようですね。

津田:個人サイトを中心に、情報が自然発生的に広がりました。通常は雑誌等の書評のほうが先ですが、この本に関してはネットが先で。つまりネットを使っている人も“メディア”とは何なのか、どう発信すればいいのかを、知りたかったんじゃないかなと思います。

川崎昌平さん(以下川崎):主に30代前後のクリエイターや研究職、ビジネスパーソンなどに響いた印象がありましたね。

津田:特に「編集という言葉に対する新しい見方がある」と捉えてもらえたことがうれしかったです。従来の“編集”は出版にまつわる言葉です。しかし、SNSなど個人の発信の場であるさまざまなプラットフォームが登場し、一般の方も日常的に発信する時代になった。そこで、発信の際にはただ文字を置くだけでなく「編集的な考え方」が大切なんだということを、改めて伝えたかったのです。

川崎:おそらく多くの方が、編集作業とは情報をたくさん集めて整理し、それをカテゴリーに分類するものだと思っていますよね。たとえば辞書の場合はその通りで、それは「編集」というよりも、体系化する性質をもつ「編纂」に近い行為です。

 そしてネット上に流れている情報を眺めてみると、その多くは編纂的なもので、事実や情報を量集めて単純にカテゴリー別に並べ、アーカイブ化しているものが多く見受けられます。

 しかしさらにそこから一歩踏み込んで、AとBの事実はどう関連しているかとか、あるいは5つの情報があったらその中のこの3つが特に大事だよと強調させるなど、ダイナミズムがあるのが本来の編集作業なのです。編集とはそもそもは“発見的な行為”で、それを届けることがメディアの役割なのだと思います。

――今のお話につながるのですが、本書で「なるほど」と感じたのは、「編集とは異質なものをつなぐこと」というフレーズでした。これはまさに、言い得て妙だなと。

津田:そうです。そこが編集デザインのいちばん大きなポイントです。なぜなら、現代はますますグローバル化が進み、異質なものが日々目の前に飛び込んでくる時代です。想定外のものは自分にとって異質だけれど、それを排除や放置するだけでいいのか。踏み込んでそれらを接合して自分でクリエイティブに表現する、思考をデザインするということが、今必要な力ではないのかと。

企画・編集した津田・川崎両氏も執筆に参加

――キャッチーな言葉で言われると、刺さる感じがありますね。「異質なものをつなぐこと」が、紙の上の編集を越えた範疇までさしているイメージを受けました。

津田:そうですね。異質なものが混入しづらい仲間うちのネットワークにとどまっているのであればいいのですが、もしもその人がもっと成長したい、あるいは組織がより規模を拡大し力をつけたいと考えるのであれば、異質なものを受容することが、今後非常に重要になってくるのだと思います。それを編集のプロだけが行う時代はもう終わっていて、ユーザー自身が行う時代に突入している。我々はそれを支援したいのです。

川崎:ちなみに辞書的な編纂といったら、まとめサイトが代表的ですよね。あれは便利です。でも便利だからとまとめられたものをただ閲覧するだけではなく、ネット上で自分の意見として発信したり、問題提起をしたりしたい場合には、編集デザインという異質なものを結びつける行為が欠かせなくなってくる。

――誰もが日常的に“書く”時代において、異質なものをつないで自身の考えとして発信したいとき。そこには何が必要になってくるのでしょうか。

川崎:何か訴えたいことがあると、人はどうしてもそこに直結する道筋を考えてしまいがちです。でも実はそれって、案外言いたいことが伝わりにくくなるんですよ。

 テクニック的なことを言ってしまうと、言いたいことやテーマがあるなら、そこに何かまったく別の角度の視点や意見を盛り込むこと。そうでないとパッと目を引くような見出しがつけにくかったり、あるいは読者がハッと驚くような仕掛けをしづらかったりするんです。そのツボを心得たブログやSNSは着目されやすく、火が付きやすかったりします。

――異質な視点を入れることで、ひとりよがりにならずに個人の視点が深まると。

津田:そうです。たとえばカレーひとつとっても「○○○は、旨い!」と単なる店情報で終わるのでは物足りない。北インドと南インドではカレーの特徴が異なるし、実はタイの人は「カレー」と呼ばなかったりします。そのカレーが発祥の地の文化とドッキングしたときに、初めて見えてくる新しい視点があるかもしれないですよね。

川崎:たぶん一直線にものごとをつなげた瞬間、視野が狭くなってしまう。そうではなくて、異質なものを求めるスタンスをもつように心がけていれば、訴えたい言葉をより伝わりやすく料理する柔軟性が備わってくるのではないでしょうか。

津田:そもそも、“自分の意見を相手に響くように伝えたい”という思いは、誰しももっていると思うんですよ。そのときに支えとなる考え方として「編集デザイン」がある。自らのユニークポイントを伝えることが、個人や組織のアイデンティティの表明にもつながっていくと思います。具体的には、今や履歴書以上の価値をもち始めている個人のポートフォリオや、企業や自治体のスタンスや価値を示す新しいタイプのコンセプトブックなどに用いられていくでしょう。

――プロっぽい発想ですね。ダイレクトに直球を投げるのではなく、意見を伝えて響かせるために「異質なもの」を用いるという考え方。

津田:それが普段から自然にできていれば理想的ですよね。たとえばですが「東京の恵比寿に行くといつも晴れている」というイメージをもっている人が、雨の恵比寿を歩くとする。そこで気候や人の服装など、いつもとは異なるファクターに遭遇する。「おや、いつもと違うぞ」と、まず気づくことが大切なんです。

 また、人はリスクや矛盾を感じたとき、そこに異質なものを感じやすい傾向にあります。たとえば「あ。ここがリスクになりそうだ」とか、「矛盾を感じるな」とか、「ここは少しヘンだぞ」など、“自分の違和感”に敏感であることも大切です。

――今、SNSで自分の意見を響かせたいと考える人は少なくないと思うのですが、さらに具体的なポイントを教えていただけますか。

コラボレーション(協働)する

川崎:“気づき”や“発見”って、ふだん学んだり仕事したりしている場ではない場所から見つかるものだと思います。太古の昔から、アルキメデスが溢れる風呂の湯を見て浮力の原理を思いついたり、ニュートンがりんごの落下にヒントを得たり。

 しかしそんな偶発的なシチュエーションは、待っていてもそうはめぐりあえない。じゃあどうするのかというと、自分の行動や思考に本来なかったものを取り入れる、トレーニングが必要だと思うんです。たとえば、コラボレーション(協働)という形で他者と一緒に活動することも一案です。他者の価値観という異質な刺激を受けることで、自分ひとりでは気づけなかった対象に気づき、そのことでコンテンツを高めていくことができると思います。

異質なものをつなぐ(編集)作業

津田:そういった作動を起こすためには、普段からものごとを自分ごととして捉えることがカギになります。なにかニュースや報道を見て異質な事実に触れたとき。日常の人間関係の中で、他者の異質な考え方に刺激されたとき。それまでもっていた、自分なりの物の見方や価値観が崩れてしまったりするかもしれないですよね。

 崩れたときに自分の視点を改めて見直して、異質なものと異質なものをつないでみる。編集デザインの考え方でまとめ直す。そうした物の捉え方が、異質なもの同士が衝突しがちな多様性社会を生きぬく力にもつながっていくのではないかと考えます。

フィロデザイン(価値のデザイン)を行う

川崎:なにごとも自分にひもづけて考えるトレーニングを継続していくと、これまでもっていた自分の価値観を崩しやすい、思考の柔軟性が出てくるということなんです。そうして生まれてきた意見や知、価値観を、どう編集し直し、新しくデザインしていくのか。自分の価値観をつくり直すことを「デザイン」だと捉えてみてください。

――今、3つのポイントをいただきましたが、“書く”という具体的な行動に落とし込んでおさらいしてみたいと思います。

1)他者とコラボレーションすることで気づきの切り口を広げてみる
2)書きたいと思った出来事やテーマを一度自分の中で咀嚼し、異質な視点でつないだり、捉え直したりしてみる
3)自分の枠組みが崩れるような発見があったら、新しい視点で自分の価値観をデザインし直してみる

という感じでしょうか。

川崎:そうですね。それがうまくできるようになったら、その人の新しい強みになるでしょうね。そのためには、思ったことをストレートに発信したり、人の情報を単純にリツイートしたりすることを、今日からストップしてみるのもいいかもしれません。

編集デザイン力を培うことで、人工知能に代替されないスキルが得られる!?

――先日読んだ、「編集者がテクノロジーに出会うとき、見出しはどう変わる?」(2015年10月28日・Yahoo!ニュース)という記事がとても興味深かったのですが、今後編集スキルが人工知能にとって代わられる可能性について、どう思われますか。

川崎:編集は複雑に経絡しあう諸要素を、ある視点からとりまとめる行為で、編集デザインはその行為をユーザーにとって、よりよいものにするためのアイデアです。その視点から考えれば、代替は難しいのではないかなと思います。

 ひとつ、面白い話があるんです。先日、たまたま「バーでシェーカーを振るアームロボット」を見たんですよ。彼らはレシピ通りにお酒を混ぜたり氷を砕いたりすることが、身体的には完璧なレベルでできるんですね。さらにデータを駆使して「ちょっと濃いめ? OK。3杯めにおける“濃いめ”とは、統計的には…」など、微妙な判断までできてしまうんです。

 でも、彼らは「ドライマティーニ」を頼んだ「赤いドレスの女性」が、「失恋した」のか「恋愛中」なのか、はたまた「待ち人来たらず」なのかまでは、読み取れないですよね。場の文脈やコミュニケーションにおける関係までは“編集”できないわけです。そうした人間の内面は単にタグ付けすればよいものでもなく、時間の経過や、不確定要素(知らない男性が話しかけてくるなど)によって常に変動するものなので、なかなか数値化しにくい部分があります。

 一方で、人間のバーテンダーはそうした判断を瞬時にできてしまう。一時的な外見要素から判断するのではなく、自身の経験値やら時間軸やら、いろんなものを“編集”し、最適解を“デザイン”するわけです。ひょっとしたらその答えとは「もう飲ませない」かもしれないし、「いいから帰りなさい」と声をかけることかもしれません。人工知能といえば「10年後になくなる仕事・残る仕事」がよく言われますが、“編集”もバーテンダーも、おそらく生き残るスキルではないかと見ています。

――人ならではの“できること”。なにか勇気が湧いてくるようなお話ですね。

津田:今、教育やビジネスの現場でも、総合力を育成するリベラルアーツや教養が求められていますよね。それって、編集デザインにも通じる“人ならでは”のスキルじゃないですか。そうした力を培うには、本を読んだり人から教わってインプットの量を増やしたりするだけではダメなんです。実際に自分の頭や手を動かしてアウトプットスキルを上げるトレーニングが必要です。すると、今の自分がもてる知力の“身の丈”が見えてくる。グローバル化が進むにつれて、多文化や多様性を取り込まざるを得なくなっている現状に適応する力も備わるでしょうし、そのことが自身の“未来”の基礎をつくる力にもつながるのではないでしょうか。

取材・文=タニハタ マユミ