民主主義ってなんだろう?そんな時に考えたい、目からウロコの「多数決」のアレコレ

社会

公開日:2015/12/8


『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』(坂井豊貴/岩波書店)

「民主主義ってなんだろう?」

 この問いかけの持つ力は現在、60、70年代の日本における「政治の時代」の終焉以降、もっともリアリティのあるものになっているように感じられる。

 長らく、政治は政治家に任せるものであり、誰が政治家になっても結局同じであり、一般市民の自分たちは自らの人生や経済活動をただ謳歌すればよい、という日本社会の空気を吸いながら、私たちは暮らしてきた。だがそれが徐々に、変化の兆しを見せはじめている。旧来の政治に対するネガティブな空気感のなかで培われてきた社会システムに、大きな疑問符がつきはじめているのだ。

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 その素朴なアンチテーゼがカタチを持って表現されたのが、『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』(坂井豊貴/岩波書店)による「民主主義ってなんだろう?」という問いかけだろう。

 その「声」の出どころとして時代を象徴しているのが、例えば、SEALDs(シールズ:Students Emergency Action for Liberal Democracy – s)のメンバーたちといえるだろうが、彼らが発する問いかけに対して、大人たちの多くが真正面から答えることができていない。ただ、そのような問いを持つこと自体を、「世の中をわかってない」とか「意味がない」などと幼稚なものとしてみなして、無効化しようとしているのだ。

 そのような問いを無効化に向かわせる誘惑に乗ってはいけない。たしかに、その問いを意味のないものとしてみなしてしまえば、自分がそこにある問題に取り組むという負荷は、一時的にではあれ避けることができるだろう。けれども、そのような態度は、大人というよりは、むしろ、未成熟な子どもっぽいあり方なのではないだろうか。しかし、その問いかけを考える糸口はどこにあるのだろうか?

「自分たちのことは自分たちで決めよう」というデモクラシーの理念には、多くの人々が賛同するだろう。けれども、「自分」で決めることと「自分たち」で決めることには大きな違いがあり、その「自分たち」の意志を集約するシステムのひとつが、本書のテーマである「多数決」という手法ということになる。

 その「多数決」という意志の集約システムを見つめなおすのが、本書の目的となっているのだ。「多数決」ほど、その真偽が問われないままに社会で使用され、しかも結果が重大な影響を与える仕組みはなかなかない、と著者はいう。それなのに、多数決で決めたから民主的だとか、選挙で勝ったから自分の考えが民意だとかいう考え方が流布され、それが説得力を持ってしまうような社会に、私たちは現在進行形で暮らしている。

 この現状を著者は、「ポスト近代を語るほど近代に達していない」とさえ断じている。そして、その多数決を盲目的に採用しつづけるのは、もはや文化的奇習であるとまでいうのだ。「今、現実がこうなっているのだから、これが民主制なのだ」という発想こそ、その奇習性を表現しているといえるだろう。

 集約システムによって、例えば選挙の結果は大きく違ってくる。民主主義って何によって支えられているのか? できるだけ民意に近い結果を出すためのシステムとは何か? そのような問いを私たちの足元から考えはじめるとき、本書はその入門の書として有益な足場になってくれるだろう。著者も述べているように、現行制度がつくりだす固定観念は、いかに強力であろうとも、それは単なる幻の鎖にしかすぎないのだ。

文=中川康雄