夏目漱石の『こゝろ』は、男性同士の悲恋を描いたBLだった!? 「貴腐人」たちが繰り広げる、腐った妄想が斜め上すぎる件について

マンガ

更新日:2016/1/8


『もはや私は貴腐人です』(鶴ゆみか/講談社)

 ダ・ヴィンチニュースでもたびたび取り上げてきたBL。男性同士の恋愛を描く、この特殊なジャンルをこよなく愛する女子たちを「腐女子」と呼ぶのは、もはや周知の事実だろう。では、彼女たちが進化するとどうなるかご存じだろうか? それが、「貴腐人」だ。まだうら若き腐った乙女たちを腐女子と呼ぶのに対し、貴腐人とは年を重ねてますますBLワールドにハマってしまった人たちのことを指す。ちなみに、さらなる進化形を「汚超腐人」と呼ぶのだが、それは置いておいて。今回は、その「貴腐人」の生態を如実に描いたマンガを紹介しようと思う。

 それが『もはや私は貴腐人です』(鶴ゆみか/講談社)。本作に登場するのは、名も無き4人の貴腐人たち。OLで雑食系腐女子のAさん、暴走する仲間たちをまとめてくれるロマン派腐女子のBさん、すぐに感情移入してしまう劇場型腐女子のCさん、そしてぱっとしないマンガ家で新人腐女子のTさんだ。この4人が、毎度毎度繰り広げるのが、なんでもかんでも「攻め」と「受け」(男役と女役)に分類する、BL妄想。そして、その暴走っぷりがとにかくとんでもないのだ。

 彼女たちからすれば、実在する人物やマンガのキャラクターを勝手に攻めと受けに分類するのなんて朝飯前。それどころか、ときには「無機物」まで妄想のターゲットになってしまうのだから、その想像力たるや恐ろしいものがある…。

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 たとえば、机と椅子。これらはどちらが攻めで、どちらが受けか。…なんてことを一般の読者に問うたところで答えなんて出るわけがないのだけれど、その答えは「机が攻めで、椅子が受け」なのだとか。机と椅子はとても近くにいるのに、決して触れ合うことがない。そう、まるで禁断の愛を育む、教師と生徒のような存在なのだ。そう考えると、健気に愛し合う机と椅子が不憫でならないように見えてこないだろうか?

 また、彼女たちの手にかかれば、かの名作、夏目漱石の『こゝろ』まで、BLになってしまう。「お嬢さん」のことが好きな「先生」と友人「K」。先生はKを裏切り、お嬢さんと結婚の約束を取り付けるが、その事実に打ちのめされてしまったKは自殺をしてしまう。そして最後に、先生は主人公に自らの罪を告白する――。というのが、『こゝろ』の大まかなストーリーだ。

 ここで、貴腐人たちからのクエスチョン。どうして先生はKを裏切ったのか。一般の人ならば、きっと「友情よりも愛情を選んだ」「どうしてもお嬢さんを手に入れたかった」と答えるだろう。しかし、貴腐人の見解は、ぼくらの想像の斜め上をぶっちぎる。なんと、「先生はKのことを愛しており、Kがお嬢さんと恋仲になるのが耐えられなかったから」だというのだ。だから、先生はお嬢さんを奪った。その結果、Kが自殺してしまうなどとは想像もせず。そう考えると、『こゝろ』は、男性ふたりの悲恋を描いた物語に思えてこないだろうか?

 机と椅子の件も、『こゝろ』の件も、「そんな風には思えないよ!」というツッコミがあらゆる方面から飛んできそうだが、あくまでもこれらは貴腐人たちの妄想。けれど、そのたくましい想像力には、目をみはるものがある。そう考えると、彼女たちの日常も、なんだか楽しそうに見えてくるから不思議だ。って、もうすでにぼくも腐ってきているのかもしれないけれど。

文=前田レゴ