「ひとつの時代が終わったという感じで淋しい」鬼才・野坂昭如氏の訃報に悲しみの声

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/16

 『火垂るの墓』で知られる作家・野坂昭如(のさか あきゆき)氏が、2015年12月9日(木)に心不全のため亡くなった。享年85歳。原作は読まずとも、アニメーション映画は日本中が観ており、このたびの野坂氏の訃報に悲しみに暮れている。

 1930年に神奈川県鎌倉市で生まれ、産後間もなく母親を失い、神戸に養子に出された野坂氏。1945年、当時まだ15歳だった頃に起きた「神戸大空襲」により養父までも失い、さらに、疎開先では義妹までを亡くすという辛い経験をした。義妹が亡くなったことに対して、ずっと苦しみを感じていた野坂氏は、この体験を元に『火垂るの墓』を書き記し、罪を贖おうとしたという。

 阿木由紀夫という名前で放送作家として活動していた一方、1963年に『エロ事師たち』で作家デビュー。1967年に『火垂るの墓』と、戦後の焼跡闇市を題材にした短編小説『アメリカひじき』で直木賞を受賞した。戦後の焼け跡の中でも、底抜けに明るい民衆達を描いた野坂氏の独特な作風や文体は、水上勉や松本清張ら審査員を唸らせ、“鬼才”とも呼ばれた。

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その後も『戦争童話集』など、自身の体験をもとに多くの童話や小説を書き続け、ときには自分の作品の芸術性を巡って裁判沙汰になることも。自身が編集長を務める月刊誌に載せた『四畳半襖の下張』では、「わいせつの概念」について争うという、当時にしては異例な裁判で波紋を呼んだ。また、大の酒好きで暴れることもあったが、とてもやさしい性格かつ照れ屋な面や、文壇界きっての犬猫好きという顔も併せ持ち、各界から愛されていた。

 自身が抱える強い想いを、小説や映画、作詞などにぶつけてきた野坂氏だが、2003年5月に脳梗塞に。右半身マヒと発声不明瞭の後遺症があったため、「作家活動もここまでか」と危ぶまれたが、リハビリや妻・陽子さんの献身的な介護により、『終末処分』や『マスコミ漂流記』などを執筆できるまでに回復した。

 しかし、2015年12月9日(木)の夜、自宅のベッドで意識がない状態で見つかり、病院に搬送されるも、そのまま帰らぬ人となってしまった。

 日本人のみならず、海外でも戦争の悲惨さに涙する作品を残した野坂氏の訃報に、世間からは「なんでだよ」「また偉大な方がこの世からいなくなってしまった」「ひとつの時代が終わったという感じで淋しい」「死に神も避けていまいそうな個性豊かな方がなくなるとは淋しい限りです」と悲しみの声が上がっている。

 また、「『火垂るの墓』は映画が出た時期に原作を読んだけど、映画より悲しすぎる結末に涙が止まらなかったです」「小学生の頃に初めて観たけど、あそこまで俺に涙と鼻水を出させた映画は他にないわ」「家族でただただ号泣してたな。いい話をありがとうございました」「ファンでした。女子高生のとき、制服のセーラー服で楽屋に遊びに行ってサイン色紙いただいたのは宝物です」と、当時を懐かしむ声も。

 また、「大島渚監督もあちらで待っていますよ。どうぞ安らかに」「あの世でまた、大島さんと仲良く喧嘩してください」「向こうで大島さんとお酒を飲みながら語り合ってください」と、大島渚氏の名前を挙げる人も多い。これは、1990年に大島氏の真珠婚式に参加するも、野坂氏の酩酊により2人が取っ組み合いの喧嘩となったことに起因する。その大島氏も、2013年に肺炎で他界してしまった。これからは天国でずっと、仲良く小突き合いながらお酒を酌み交わしてほしい。

 心からご冥福をお祈り申し上げます。

■『アメリカひじき・火垂るの墓
著:野坂昭如
価格:562円(税込)
発売日:1968年2月1日
出版社:新潮文庫