「羊飼い」にしか書けない小説 『颶風の王』河﨑秋子インタビュー

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/16

 又吉直樹さん、星野源さん、加藤シゲアキさん、今年の文芸は専業の作家ではない“異業種作家”の活躍が印象的な一年だった。芸人やミュージシャン、それぞれの本業で活躍しているからこそ描きだせる独創的な作品世界に多くの読者が魅了されたはずだ。そしてもうひとり、今年デビューした異業種作家がいる。名前は、河﨑秋子(かわさき・あきこ)。彼女の本業は、羊飼いだ。

河﨑秋子さん

2014年に三浦綾子文学賞を受賞し、今年の8月1日に発売された『颶風の王』(ぐふうのおう)は、六つの世代をこえて馬と運命を交差させたある一族の物語。本作もまた、北海道の大地で日々自然の脅威と向き合っている河﨑さんにしか書けない傑作だ。

物語は明治初期、東北に住む青年・捨造が北海道を目指し、村を離れる場面から始まる。その道程で、彼は故郷に置き去りにしてきた、母・ミネに託された手紙を読み、自らの凄絶な出自を知ることになる。そこに書かれていたのは、捨造を身ごもったまま駆け落ちに失敗したミネが一頭の馬と共に遭難し、雪洞に閉じ込められたこと。そこで、互いの髪と鬣を食べながら飢えを凌ぎ、ついには生きたまま馬の肉を食べ、その腹腔にもぐりこみながら執念で自らと捨造の命を繋いだこと……。

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―――第一章のいきなりの衝撃的な展開で、一気に物語に引き込まれました。あのような事件は、かつて実際にあったのでしょうか。

雪洞に閉じ込められた馬たちが身を寄せ合って命を繋いだ、というのは実際に私が住む隣の集落であったことらしいです。その時に、飢えを凌ぐためにお互いの鬣を食べていたというのも事実です。

―――そうだったんですね。雪洞のシーンに限らず、第一章、第二章は共に過去を舞台にした話でありながら、情景が脳裏に浮かぶような臨場感があります。やはり、多くは実際の出来事や人物がモデルになっているのでしょうか。

登場人物に特定のモデルはいませんが、実際に私が見聞きした話を組み合わせてそれぞれのキャラクターを作り上げていますね。 第二章は、捨造の孫・和子が主人公です。彼女は馬を育てて売る仕事をしていますが、これも実は根室にある私の母の実家や、実際に馬を売ることを生業としている知人の話を土台にしています。また、この章で描いた自然への根源的な恐怖「及ばぬ」という感情は、そのまま普段自然と向き合って仕事をしている私の中にあるものでもあります。

河﨑さんのご実家の農地はおよそ70ヘクタール。バチカン市国が一個半はいる広さ

―――最後の第三章で、時代はついに平成に追いつきます。和子の孫で大学生のひかりは既に馬と共に暮らす生活を送ってはいませんが、高次機能障害になった和子の話から「花島」という無人島の存在、そしてその絶海の孤島では、ある事情で取り残された馬たちが今も生きていることを知ります。「花島」へと導かれるように近づいていくひかりの姿は、『颶風の王』という作品の中で描かれてきたこの一族の運命の伏線を回収していくようでもありますね。

「花島」にもモデルがあります。ユルリ島といって、かつて漁業に使われていた馬が色々な事情によって留め置かれ、多いときには30頭もの馬たちが野生化してそこに住んでいたそうです。

YouTube「『幻の島 ユルリ島』写真家 岡田敦 / 2013」より

2006年に、島の雄馬がすべて引き揚げられてからは、新しい仔馬が生まれることはなく、2015年現在、5頭の牝馬が残っているだけである。現在のユルリ島については、写真家の岡田敦氏が定期的な記録撮影を行っており、その様子は岡田氏の公式サイトやYouTubeで確認できる。

―――『颶風の王』は、人間と馬の運命的な結びつきが柱の題材になっています。馬を題材として選ばれたのはなぜでしょうか。

馬は北海道の開拓の時代から人間と共にありました。農漁業の相棒として、欠かせない交通の便に、またある時には開墾の力として。明治以降の北海道の歴史を物語るうえで、馬を無視することは出来ないんです。それに、私は酪農業を生業としていますから、羊や牛では少し身近過ぎるという理由もありましたね。

―――なるほど。それでは、本業の羊飼いという職業について教えてください。普段はどのようなお仕事をされているのでしょうか。

私の実家は、酪農業で牛の生乳を出荷したり、自家製でチーズなどに加工して販売しています。私はそれを手伝いながら、牧草地の一角に羊小屋を建ててそこで30頭ほどの羊を飼っています。羊を繁殖させて、子羊を肉として出荷するんです。都内のフレンチレストランにも卸していますよ。

―――ご実家が酪農家で、ご自身も羊飼い。小説家になろうと思ったのはいつ頃ですか。

小さなころから、小説家になりたいという気持ちはありました。大学生の頃には文芸サークルに入って実際に書いていましたし。でも、途中で辞めてしまったんです。

―――それは、なぜでしょうか。

単刀直入に言えば、自分はこのままでは書けるものの上限が固まってしまっていると思ったからです。だから、一度小説からは距離をおいて人生経験を積もうと思いました。ちょうどその時に緬羊に興味があったのでニュージーランドへワーキングホリデーで留学しました。帰ってきてからも羊の勉強を続けて、そうすると次第に小説執筆どころではなくなっていきましたね(笑)

―――それでは、再び小説を書こうとしたきっかけは?

小説を書くことからは離れていても、心のどこかにはいつかもう一度書いてみようという気持ちがあったのだと思います。30歳を目前に、いいタイミングで自分の中に区切りが訪れたような気がしました。

―――その後、初めて書いた作品が北海道新聞文学賞の最終選考に残ったんですよね。

はい、根室の別海町という道東の田舎で、仕事が終わった後にひっそりと書いていたものが、選考委員の先生方にちゃんと読んでいただけた。まず、それが何よりも嬉しかったですね。

―――羊飼いの仕事、酪農の仕事をしながらの小説執筆、一体どのようなサイクルで両立されているのでしょうか。

朝の5時から8時くらいまでは主に酪農の仕事をします。その後も、自分の羊の世話をしたり、自家製のチーズの販売や家事などで日中は過ぎますね。夕方からも牛の搾乳をして、家族の世話を終えてようやく22時ごろから小説を書いていました。集中すると2~3時間くらいの執筆。だから、小説を書いている期間はずっと眠い感じです(笑)

―――殆ど寝ていないじゃないですか! 『颶風の王』はどれくらいの期間で書き上げたのですか。

資料集めなどをしていた期間を除けば、実際の原稿執筆にかかったのは1,2か月ぐらいでした。三浦綾子文学賞の締め切りが6月30日だったのですが、6月というのは酪農業では牧草刈りを行う、一年でもっとも忙しいシーズンなんです。それなのに28日はサロマ湖で開催されるマラソン大会に無謀にもエントリーしてしまっていて……

―――なんというバイタリティ……!

ちょうど、マラソンの前日にサロマの近くで桜木紫乃先生のサイン会があって、先生に握手して頂いたその手を洗わずに原稿を投函しました。

―――おお、見事にそのパワーが効いたわけですね。

ええ。だから、桜木先生には頭が上がりませんね。受賞後に報告しに行ったら、先生も覚えていらして、「どうりであの時、あんなに強く握られたんだ」って(笑)

―――そんな『颶風の王』も既に4刷が決定しました。いまや、北海道のみならず、日本全国の読者が手に取れるようになりましたね。

本当にありがたいことで、それは選んでくださった選者の方、編集者、書店員、読者の皆さん、本当に沢山の方々のおかげだと思います。そしてなにより、三浦綾子先生のお名前を冠する賞を頂けたこと、三浦先生は北海道で物を書く人間にとっては、神様のような、大きいおっかさんのような存在ですからね。

―――今後も執筆の軸足は北海道に?

そうですね。本業の羊飼いをずっと続けていきます。これからも私は、兼業作家として農作業の合間に書いていくつもりです。だからこそ、人間だけでクローズしてしまうような話ではなく、人間と人間以外の存在、自然や動物との関わりについて描いていけたらと思います。そういう作品を読者の方に喜んでいただければ幸せですし、そうなれば、それが自分にしか書けない作品なんだろうと思います。

―――最後に、もしよろしければ次回作について少しお聞かせ願えませんでしょうか。

次回作の舞台も北海道です。でも時代は現代。人間と自然のかかわり方をテーマに、携帯電話やお金といった人間社会が作り上げたシステムが生命を担保してくれない世界観を描ければと思っています。

―――次回作も楽しみにしております。このたびは、どうもありがとうございました!

『颶風の王』(河﨑秋子/KADOKAWA)

取材・文=編集T