世界的な文明評論家が描く衝撃の未来図!「シェアリング・エコノミー」とは?

経済

公開日:2016/1/18


『限界費用ゼロ社会 <モノのインターネット>と共有型経済の台頭』(ジェレミー・リフキン/ NHK出版)

 現代の私たちにとって、もはや空気のような存在でもある資本主義とそれが作り出す経済の営み。それが今、自らの後継ぎを生み出しつつあるという。そのことを描き出したのが、世界的な文明評論家として知られるジェレミー・リフキン氏による『限界費用ゼロ社会 <モノのインターネット>と共有型経済の台頭』(ジェレミー・リフキン/ NHK出版)だ。

 本書では、その新しく生まれつつある経済体制を「シェアリング・エコノミー(共有型経済)」と呼び、これからの人類史上で非常に大きなインパクトを与えていくものとしている。この新しい経済は、商品やサービスの生産効率が極限までアップしてコストがほとんどゼロに近くなることによって誕生する。つまり、資本主義経済の持っている「生産効率を向上させ続ける」という性質によって、「シェアリング・エコノミー」は生み出されるのだ。

 といっても多くの読者にとって、その新しい経済というものを具体的にイメージすることは難しいかもしれない。それなら例えば、情報通信(コミュニケーション)の分野で起きた、最近の変化について思い出すとどうだろうか。

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 情報通信は、少し前まで手紙や書籍などで営まれており、それらは印刷や輸送、石油などの燃料によって多くのコストを払って実現したものだ。もちろんユーザーは、それを使用する際に多く対価を支払う。けれども、それがインターネットというテクノロジーが登場して以来、ユーザーはほとんど無料で、情報通信の技術を利用することができるようになっている。つまりこのようなテクノロジーの進歩によって合理化が徹底すると、限りなく無料に近づいていく。そのような変化が、これから他のさまざまな分野にも起きていく、ということなのだ。

 また、そこに新たな人とのつながり方、コミュニティが生成される。それが本書で語られている「協働型コモンズ」。いってみれば、日本でも近年、話題になっている「シェア」文化のことでもあるわけだ。けれども日本においては、現代文化論として消費財のように扱われる傾向がある。例えば、現代の「若者論」といったような、移ろいゆく時代の表層のようなものとして。

 さらに日本において「シェア」は、日本の経済状態における不景気とリンクされて語られることが多い。例えば、今では一般的な居住スタイルの選択肢のひとつとなったシェアハウスでも、住宅費を抑えるという前提がある上での流行と捉える向きもあるだろう。そこには、「シェア」というものを一種の付加価値として売り出したい不動産業界の思惑や、それらをバックアップするメディアや広告代理店などがあることも事実だ。その点においては、従来の資本主義の経済となんら変わらない、ということもできる。

 だが、本書で想定されている「シェアリング・エコノミー」は、これまでの資本主義の経済を形成してきたインフラとは、全く別のインフラに基づいて形作られているという点がじつに重要になっている。その点において、日本における「シェア」をめぐる言説とは一線を画しているのだ。

 その新しいインフラを作り出すのは、最近日本でも耳にすることが多くなった「IoT」(モノのインターネット)。「コミュニケーション・エネルギー・輸送」という、社会を形作る上で重要な3つの要素の全てがインターネットと結びつき、新たなインフラを形作っていく。この新しいインフラの誕生によるインパクトは、例えば、印刷技術や化石燃料、自動車や電車など輸送技術の発明によって引き起こされた社会の構造転換と同レベルだと本書では主張されているのだ。

 この新しいインフラは、すぐに完成するものでない。これから40年くらい、2世代にわたって続いていく変化だという。具体的には、今世紀の半ばくらいには、社会の経済活動の大半がこのインフラに基づいて営まれるようになると、本書は予測している。

 邦訳のタイミングで書かれた「特別章 岐路に立つ日本」も読み応えがある。日本という国がどのようにして、資本主義経済とシェアリング・エコノミーのハイブリッドを目指していけばいいのか。そのヒントがこの章には描かれている。ただ格差を生み出すことに注視しがちな資本主義経済。けれども、その経済が持つ性質によってここで描き出されている未来図は、なかなか衝撃的なものだ。「シェアなんて胡散臭い」、そう思っている人こそ手に取ってみるべき本であろう。

文=中川康雄