あの古典が出版業界の実情を暴露していた? バルザックの『幻滅』を読む

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/16


『ポケットマスターピース03 バルザック』(野崎 歓:編/集英社)

 出版業界は、本が売れない、儲からないといわれつつも、大学生の就職活動では今も人気の狭き門だ。この出版業の誕生に立ち会い、世界で初めてパトロンなしで、印税だけで生活を成り立たせた作家が、バルザックだ。19世紀初期のフランスで書いて書いて書きまくる人生を送り、51歳で死ぬまでの20年間で、なんと90篇の小説と2000人の登場人物を生み出した傑物である。このたび発売された、『ポケットマスターピース03 バルザック』(野崎 歓:編/集英社)には、この中から「ゴリオ爺さん」「幻滅(抄)」「浮かれ女盛衰記」の3作品が収められている。

 この中の「幻滅」より、当時の出版業の様子を見てみよう。この話は、バルザック本人の経験をもとに書かれているので、小説ではありながら、出版やジャーナリズムの姿は歴史的事実として読めてしまう。

 主人公はリュシアン。田舎から、詩人で身を立てることを夢見てパリへ出る青年だ。安アパートでの貧乏暮らしの中、執筆をし、歴史に残るような気高い作品を書くことを目指す。ところが、自信たっぷりに自作を売り込みに行った有名書店(出版社も兼ねる)では、「本は金にあらずってね。出版業界は不景気なんですよ」と追い返される。別のところにも持ち込むが、くず同然の値段でしか相手にしてくれない。出版業者は、売れるものしか相手にしないのだ。本は商品。ようは、金になるかならないか。すべては金だ。

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 手持ちの金がなくなり、生活に困るようになると、リュシアンは安食堂で知り合ったジャーナリスト・ルストーから新聞記事の執筆の仕事をまわしてもらう。ルストーらの仕事は、人間関係のバランスによって、自在に記事をでっちあげること。つまり、自分の利益になる人間のことは褒めて書き、嫌な人間のことはけなして書くのだ。リュシアンも同様となり、上京当時の高い志は遠い彼方。おまけに、劇場に無料で出入りでき、有名人に会えることでいい気になり、借金まみれの都会の派手な生活に染まってしまう。さらに欲が出たリュシアンは、権力欲しさに右左両派の新聞にいい顔をしたため、両方から嫌われジャーナリスト生命を絶たれ、パリから追放される羽目に。身も心もぼろぼろで故郷に帰った挙句、友人を破産させ、物語の最後で自殺を試みる。

 そこを救い、「幻滅」の続編である「浮かれ女盛衰記」にまで、リュシアンを生かしたのがヴォートラン。社会を敵とみなす中年男。悪役でありながら、社会全体(作品全体?)を思いのままに動かそうとする際立った存在だ。ヴォートランはリュシアンを助けた道すがら、次のように言い放つ。

お若いの、現代では社会は知らぬ間に、あまりに多くの権利を奪い取ってしまった。そこで個人は社会相手に戦わなければならないのです。もはや法はない。あるのは風習のみ。つまりは見せかけだ。これすなわち、形式。

 出版は、作品が優れているかよりも、その作者がすでに有名人ならお金になる世界。つまり、価値があると見せかけることが大事な世界だ。食品や工業製品のように具体的に触れることのできない、情報というものを扱う商売の宿命なのだが、それに気づかず失敗したリュシアンに、ヴォートランが放ったこの台詞は、バルザック自身の実感がこもる一文だ。なにしろ、作家として出世欲満々のバルザックであるが、作家生活の傍ら、リュシアンと同じくお金に困って新聞記事を書いたり、印刷業に手を出したり(失敗したが…)していたのだから。

 出版業、ジャーナリズム業は19世紀の産業革命以降にできた新しい産業だ。バルザックは、できて早々の出版業の実態を暴いてしまったわけだが、出版界に生涯居座り続けたのも事実。出版の魅力と可能性を信じ、ペンで社会と格闘したのだ。そんな彼の作品群には、社会を批判的に見つめる視点と、人間のどうしようもない面への受容が交錯していて、ハッピーエンドにならない話でも、読んでいてなぜか暗い気分にはならない。

 今回収められた3作品は、編者の野崎氏によると、ヴォートランの活躍を中心にした選であるとのこと。バルザックの作品群には同じ人物が何度も出てくるのが特徴だが、特に「浮かれ女盛衰記」は、「幻滅」のリュシアンのその後が書かれているので、続けて読むとおもしろさ倍増だ。出版志望の学生の方、すでに出版界にいる方は、必読! いや、情報と無縁ではいられない、わたしたち現代人すべてにとってのバイブルかもしれない。

文=奥みんす