冷戦後におけるロシアの想像力 21世紀に新たに存在感を発揮しつつある大国の「ポストモダン」に迫る

海外

公開日:2016/2/15


『ロシアあるいは対立の亡霊 「第二世界」のポストモダン(講談社選書メチエ)』(乗松亨平/講談社)

かつてこの世界は、ふたつに分かたれていた

 国家同士の話に限ったものではないが、どのような関係を築いているかによって、そこに流通する情報は異なってくる。例えば、関係の良い同士では、シンパシーを感じやすい情報が流通されがちだし、反対に仲のあまりよくない同士では、ネガティブな情報が多く流通する傾向にあることは、多くの人びとが日常的に体験することだろう。

 人類の壮大な実験だったともいえる社会主義国家の登場によって、かつて世界はふたつの巨大な勢力に分断されていた。アメリカとソ連、このふたつの大国を中心にして、そのどちら側にいるのかを表明することが国際社会のなかで前提になっていた時代が、かつてあったのだ。もちろん、情報の流通はその情勢に大きく影響を受けることになる。

 そして、私たちにとって未だに「他者」であり続けているロシアという国の知識人たちが、旧ソ連が解体された後、そのアイデンティティの拠り所をどのようにして形作ってきたのか。その現代史を概観していくのが、本書『ロシアあるいは対立の亡霊 「第二世界」のポストモダン』(乗松亨平/講談社)の内容となっている。

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「第二世界」におけるポストモダンの受容とは?

 本書で提出されているのは、日本の知識人層にも馴染み深く、もしかしたら、もう過去のものとも思われがちな「ポストモダン」という思想の、ロシアでの展開の見取り図だ。ポストモダンは、ロシアにとって「他者」とされていた西側諸国に端を発する思想だが、それをロシアの知識人たちがどう咀嚼し、対抗の物語として再編制していくかという苦心の痕跡が繊細な手つきで描き出されている。

 日本とロシアにおけるポストモダンの共通点は、モダンが確立されていない状態で、ポストモダンが導入されたということ。そのため、プレモダンとポストモダンが直結した形となり、それが固有の特殊性を生み出している、と著者はいう。また、その両者の違いは、日本は「つながり」や「たわむれ」を志向したのに対して、ロシアは「大きな物語」の再建を目指すものとして組み入れた、という点にある。

 旧ソ連時代からロシアでは、そのアイデンティティの拠り所を「私は権力にとって他者である」という物語としていたが、崩壊後、それは「私は西側にとって他者である」という物語として書き換えられ、さらには、「私は私自身(ロシア)にとって他者である」という自己疎外として展開されていく。

 そのアイデンティティのあり方は、日本のようなスノッブの王国としてのポストモダンとは違い、対立と否定を旨とする人間が生き延びるための思想として、今もなお、ロシアという場所を価値付け続けている。外部の他者との対立を通して自己を確立するのではなく、自己の内部に不断に対立を持ち込むこの志向。これがロシアという場所における「ポストモダン」の受容の基礎となっている、というのだ。

「第一世界」と「第二世界」、その死んでしまった対立の物語は、今すでに「亡霊」となっている。だがその亡霊は、幾度となくその姿を現し、終わらない対立の間のなかを漂い続けているのだ。「ロシア」「ポストモダン」「現代思想」、それらに関心を持っていない人にとっても、本書は世界に展開している思想地図をドラスティックに更新してくれる会心の書となっている。一度は、通読することをオススメしたい。なぜならば、そこには私たちの知らない物語があるのだから。

文=中川康雄