嘘つきも才能! 歴史に残る「騙し」エピソードに見る創造性

社会

公開日:2016/2/24


『騙しの天才――世界贋作物語』(桐生 操/NTT出版)

騙しの天才――世界贋作物語』(桐生 操/NTT出版)は、歴史に残る詐欺事件や悪戯事件を集めた“騙し”の歴史本である。

 ここでは、本書に収録されている中から、特に創意あふれるエピソードを三つ紹介しつつ、そこに秘められた創造性に迫りたい。

 まず紹介するのは、ケンブリッジの学生が企てた「偽エチオピア皇帝事件」だ。舞台は20世紀初期の英国。その日、英国艦隊の司令官に、急きょ外務省から「エチオピア皇帝ご一行がそちらに向かっているから手厚くもてなすように」という指令が入った。

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 当時、イギリス人にとってエチオピアは未知の国同然だったということもあり、英国艦隊も町人も興味津々であった。そんなわけで、その日の午後2時には、町は歓迎ムードで皇帝ご一行を迎え入れたのだった。

 ……ところが、この皇帝ご一行、実は変装したケンブリッジの学生たちだったのである。

 偽皇帝ご一行は、英国艦隊相手にもっともらしくエチオピアの文化を語るのだが、内容も言葉もデタラメばかり。さらに、軍楽隊が演奏した国歌が、エチオピアではなくタンザニアのものであるということに気づかず、トンチンカンな反応を返してしまう。

 それにもかかわらず、英国艦隊のメンバーは誰一人としてその状況に違和感を覚えなかったようだ。結局、ケンブリッジの学生たちは、最後までエチオピア皇帝ご一行を演じ切ってしまったのだった。

 バレたら危険な状況での大芝居。演技力も度胸も相当なものが要求されたと思われる。加えて、未知の国の文化や言葉まで作り出す想像力の豊かさ。

 もし彼らが舞台俳優や脚本家・小説家などの道に進んでいれば、大活躍していたのではないだろうか?

 事実、メンバーの一人であった女性は、後に有名な作家として名を残している。聞いてびっくり、あのヴァージニア・ウルフである。

 さて次は、今から100年近く前のニューヨークで起こった芸術的珍事件の話だ。

 この事件の主人公は、ある日、アメリカで初めて開催されたゴッホ展に出向いた。そしてそこに、牛肉の切れ端で作った自作の「ゴッホが切り落とした耳」をこっそり展示したのである。

 その場に居合わせた来場客たちは、この不気味な展示品に気がつくと、ゴッホの絵を無視して偽物の耳の前に殺到した。かくして男は、ゴッホ以上に会場内の注目を集めたのだった。

 そのパフォーマンス精神や工作力、人の興味を惹きつけるセンスは、企画者やプロデューサーとして活かせるのではないだろうか。あるいは、ウェブコンテンツを作らせてみても面白そうだ。

 最後は、天才的な発想の転換力を発揮した、作家のセオドア・フックの話で締めくくりたいと思う。

 作家友だちと散歩をしていたフックは、途中、ある家の前で立ち止まると、「この家をロンドン一有名な家にしてみせよう」と賭けを持ちかけた。友だちの方は本気にしていなかったが、興味本位でこれに応じることにした。

 まもなく、その家の前に奇妙奇天烈な行列ができることになる。その面子はそうそうたるもので、霊柩車、石炭やビール樽、野菜などを積んだ荷馬車の数々、家政婦、コック、さらには元陸軍司令官や市長まで含まれていた。

 かくして、フックは賭けの勝者となったのであった。

 フックがどんな手を使ったのか、頭の回転の速い人ならもうおわかりだろう。

 賭けを持ちかけたときに家の住人の名前を確認しておいた彼は、帰宅するや否や、思いつく限りの店や業界人に嘘の手紙を送りつけた。そして、彼らが同じ日にその家を訪ねるように仕向けたのである。

 種明かしをしてしまうと簡単なことだが、彼のように不可能を可能にする優れた発想の転換力は、新しい商品やサービスを考え出したり、困難を切り抜けたりするときに大いに活かせそうだ。

 一般に、人を騙すことはネガティブに受け取られる傾向にある。しかし、こうして別な角度から眺めると、そこには目をみはるような創造性が秘められていることに気づかされる。

「人を騙すことも創造のうち」という視点を取り入れれば、自分の中、あるいは他者の中に眠る新たな創造性を見出すことにつながるのではないだろうか。

文=水流苑真智