「おにいさま」からのメモに胸高鳴る……芥川賞作家が描く“自伝的”男子校合宿物語

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/16


D菩薩峠漫研夏合宿』(藤野千夜/新潮社)

2000年、ゲイのカップルを描いた『夏の約束』で芥川賞受賞。以来、“普通とはちょっと違う”と感じる人たちの心の機微を、軽やかなタッチで描いてきた藤野千夜。作家生活20周年を機に、“リミッターを外して”書いたのが、自身の男子校時代の経験をもとにした『D菩薩峠漫研夏合宿』(新潮社)だ。

今から35年前、私立あおい学園に通う高校一年生の〈わたし〉は、所属する漫画研究部の夏合宿に参加する。初参加で緊張する〈わたし〉は、あるときバッグの中に一枚のメモを見つける。〈「D菩薩峠の合宿で、ぜったい一緒に寝ようね」〉―差出人の名は〈「おにいさま」〉。いったい、本気なのか冗談なのか。でも、それを読んだ〈わたし〉の胸は、〈泣きたいくらいに高鳴っていた〉のだった。

漫研夏合宿では、メンバー選りすぐりの漫画の数々をひたすら読み、合評する……だけでは終わらず、ペアになっての肝試し、熱愛カップルの誕生、恥ずかしいおしおき、パンツが消えた事件などなど、個性的な12人の部員たちと顧問の先生、途中からは漫研OBの面々まで乱入して、かなり濃ゆ~い7日間が〈わたし〉を待っていたのである。

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ただし、濃ゆいとは言っても、男子×男子のカラミを殊更に強調するのでも、殊更にマイノリティの不遇を主張するものでもない。描かれるのは、あくまで高校生らしい和気あいあいとした日常。大島弓子、永井豪、手塚治虫など実際の漫画の話も出てきて楽しい。さっぱりとした描写の中で、しかし時折あらわになる登場人物たちの内なる想いに心揺さぶられる。それこそが藤野作品の真の持ち味だ。〈男子が男子を好きになるのは、おかしなことか〉と周囲の大人に問いかけるのは、同じ漫研部員の中村草生とカップルになった池田進。“同性愛=病気”かのごとく扱われていた当時、問われた大人は答える。〈それは一時的なはしかみたいなものだ〉と。じゃあ〈わたし〉のこの気持ちも〈はしか〉なの?……いつもどこか“事なかれ主義”で流してしまう〈わたし〉の性格は、身体と心の性に不一致を感じながらも、誰にも言えずにいるストレスから自分を守るがゆえ。そんな〈わたし〉にとって、〈おにいさま〉からのメモは、〈誰にも愛されないかもしれない〉と怯えていた自分の存在を初めて肯定してくれたのだ。メモを見つけた時の〈わたし〉の胸の高鳴りを思うと切ない。

さて、肝心の〈おにいさま〉は一体誰なのか。結論を言ってしまうと、作中でその正体が明かされることはない。でも、それでいいのだ。大事なのは〈おにいさま〉が特定の誰かってことじゃなく、〈わたし〉の心の拠り所であることそれ自体なのだから。いっぽう読者としては、〈おにいさま〉が誰だったのか想像を膨らませるのも楽しい。可能性が高いのは、合宿中常に〈わたし〉を優しく見守ってくれるスノッブな池田進か、〈おしおき〉で恥ずかしい思いをした〈わたし〉を元気づけてくれた大越先輩か。でも個人的には、何かと〈わたし〉をからかい、ちょっかいを出してきた〈自称、男色評論家〉のジュンが実は〈おにいさま〉だったら素敵かも。切なくも甘酸っぱい一冊です。

文=林亮子