教育現場の問題の元凶は教師なのか? 教師が生徒からも親からも尊敬されなくなった理由とは?

社会

公開日:2016/3/11


『尊敬されない教師(ベスト新書)』(諏訪哲二/ベストセラーズ)

 教師の権威が失墜しているといわれる。理由はさまざま挙げられている。イジメに気づけない・止められない、教育力が欠如している、そもそも人格的に不適格である…おおむね教師の力量不足が指摘される。公務員や医者のなり手には事欠かないが、特に地方では教師のなり手が減少しているといわれる。

 教員採用の競争率が下がった結果、教師の質も低下したという意見が見られるが、これに『尊敬されない教師(ベスト新書)』(諏訪哲二/ベストセラーズ)は異を唱える。高校教師を27年間務め、数々の教師を見てきた著者は、「必ずしも教師の質が下がったとはいえない」と述べる。教師は世間が思っているような「神」のような存在ではなく「人」なので、欠点は多かれ少なかれ持っているが、それはどんな職業人でも同じ。「教師は労苦に比して批判されすぎている」と、世の教師を憐れんでいる。

 権威を振りかざすのではなく、友達感覚で親しみやすい「お友達教師」が若手を中心に増えており、生徒と保護者の人気を得ている実態には賛否両論あるが、本書によると、教師は権威を取り戻して「尊敬されねばならない」という。「たいしたことがない」と思われているよりも、尊敬されている教師のほうが学習効果が高まるという理由だけではない。思春期の生徒が自己形成をしていくうえで、目の前のロールモデルともいうべき重要な存在が教師だからだ。やや強引にも思えるかもしれないが、本書はたとえ「尊敬に値しない人物」であっても「尊敬に値する人物」と見なされなければならない、としている。

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 しかしながら、教師への尊敬の念は失われつつあるのが実状だ。本書によると、その原因は時代の変化によるものが大きい。昔は学校や教育は国や社会という共同体からの「贈与」だと思われていた。だから、保護者は共同体に感謝し、生徒は上を立てるべく「生徒らしく」振る舞っていた。教師への尊敬も、振る舞いの一部に含まれる。しかし、次第に国が豊かになってくると、共同体の概念が力を失い、個人が自由な枠組みや価値観を持ち始める。そして、社会を「値踏み」し始める。学校に「契約関係」や「商取引の関係」が持ち込まれ、教育が取引対象と見なされるようになってきた。教師は「与えてくれる人」ではなくなり、「対価を支払ってサービスを売ってくれる人」になる。取引という行為は対等な関係で行われる。授業中に騒ごうが、立ち歩こうが、自分のメンツが潰されるような、または納得できないような叱られ方は受け入れられず「うるせーよ」と抵抗する。自分には必要がないと判断した授業は抜け出す。高校を卒業するのが当たり前の時代になって、この傾向は加速し続けている。

「進学校の教師は尊敬されている」という声があるかもしれない。しかし、本書は、進学校のような授業を真面目に受ける生徒層ほど、心に等価交換の概念を持っているという。「尊敬を集めている教師」の授業をみんなが静かに受けることで、授業がスムーズに進み、進学できる学力が身につく。生徒たちの利益と教師が望む生徒像が一致するのだ。教師自らが「尊敬されている教師」になっているというより、生徒から「尊敬されている教師」という教師像が与えられているともいえる。

 本書によると、教師は「たかが教師なのだから、『尊敬』しても子どもの魂のすべてが染められるわけではない」ことを踏まえたうえで、社会全体が「教師は尊敬を必要とする職業であること」にあらためて気づかなくてはならない、と警鐘を鳴らしている。教師の権威は、私たち一人ひとりの手にゆだねられている。

文=ルートつつみ