親が亡くなったらニートの弟を世話するのは私? 結婚しない姉の面倒は? 新たな家族問題“きょうだいリスク”とは

社会

公開日:2016/3/21


『きょうだいリスク 無職の弟、非婚の姉の将来は誰が見る?』(平山 亮・古川雅子/朝日新聞出版)

 親兄弟がいて、子や孫が生まれる。従来みられた家族像であるが、ここ最近はその形も変わりはじめている。多くは、少子高齢化による核家族の増加や、非婚化による単身世帯の増加などを理由としているが、近年、兄弟の面倒をみる「きょうだいリスク」という側面も指摘されている。

 その根底に「ほぼ同世代で生じる『格差問題』」があると唱えるのは、書籍『きょうだいリスク 無職の弟、非婚の姉の将来は誰が見る?』(平山 亮・古川雅子/朝日新聞出版)だ。本書の指摘によれば、想定される問題は以下のとおりである。

1)自分も余裕がないのに兄弟の困窮まで手助けして「共倒れ」してしまう
2)生活に余裕がない中、兄弟の生活保護申請を助けて後ろめたさや互いの距離が生まれる
3)遠方に住む困窮した兄弟の介護や入院を手助けして、時間的、経済的に追い込まれる
4)親の介護で兄弟同士にあつれきが生まれる、関係がこじれるか絶たれてしまう

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 家族とは他人と異なり、切っても切れない存在なのも事実だ。兄弟がいるならば想像にかたくない問題点ばかりだが、ではなぜ、ここにきて兄弟間におけるリスクを考えるべきなのか。その背景のひとつには「親の老い」がある。

 本書の協力者である1人、ひきこもり支援センター代表によれば、70代の親が40代のひきこもりの子どもを世話する事例も珍しくないという。いったん社会へ出たとしても、ふたたびひきこもりに戻ることを繰り返し、気がつけば親子ともども高齢化しているというケースも。そして、親が亡くなったあと、助けを求められるのは兄弟しかいなくなるという構造がある。

 さらに、その根底にあるのは「きょうだい格差」だ。ただそれは、経済的なものに限らない。本書ではあえて「身分」という言葉が使われているが、学歴や職業もしかりで、もっといえば、どこに住んでいて何を消費して生活しているのか、社会的に誰と繋がりを持っているのかなど、細かな生活習慣の食い違いが、やがては血の繋がる者同士の大きなひずみになりうるということだ。

 その先で生じるのは、親の老いや死による兄弟間のあつれきである。本書で想定されるパターンは大きくふたつに分けられる。

1)生活のすべてを親に依存していた兄弟から助けを求められる
2)親の介護により時間的、経済的な事情にあえぐ兄弟から助けを求められる

 どちらも最終的に、受け止める覚悟を迫られる兄弟への“依存”へたどり着くことになる。ひとつめは親へ依存している場合、ふたつめは親から依存されている場合だが、特に親の介護をきっかけとする場合に、兄弟へ求められる選択肢は“親と兄弟のふたつをいっぺんに背負えるか否か”という2択だ。かりに背負う覚悟を持ったとして、たいへんな重荷となるのは誰の目に見ても明らかだが、では、その者の負担を誰が担うべきかという課題も残る。

 家族とは究極のセーフティネットであるが、同時に、その枠内で「家族で支え合う」という意識に縛られると行き場を失いかねない。本書のいう「きょうだいリスク」の根底には貧困や社会保障の議論も垣間見えるが、年老いていく親の背中を見るにつれて、身につまされる問題のひとつである。

文=カネコシュウヘイ