稀覯本が盗まれた! 古書窃盗団 vs. 図書館特別捜査員の熱き戦いを描いたノンフィクション

社会

公開日:2016/3/24


『古書泥棒という職業の男たち 20世紀最大の稀覯本盗難事件』(トラヴィス・マクデード/原書房)

 1931年、ニューヨーク公共図書館から稀覯本が盗まれた。本の奪還に1人の図書館特別捜査員が立ち上がる。手がかりを追ううちに、史上最大の古書窃盗団の存在が明らかになる。本泥棒と図書館司書、本に人生を捧げた者たちの熱き攻防が幕を開ける。

 まるで小説か、映画のような話だが、実際に現実で起きたことだ。『古書泥棒という職業の男たち 20世紀最大の稀覯本盗難事件』(トラヴィス・マクデード/原書房)には、米国図書館史上最悪ともいえる古書盗難事件の一部始終が描かれている。事件の詳細を追いながら、本泥棒と図書館司書、本の価値を知る人間はどちらなのかを考えてみる。

 ニューヨーク公共図書館(以下NYPL)は、1911年に竣工。アメリカ議会図書館に次いで、全米第2位の規模の図書館である。稀覯本は閉架図書に収められ、書架には2人組の司書がいて3階の閲覧室から持ち出すことはできない。出入り口には守衛が常駐している。当時、最も防犯設備の整った図書館といわれていた。

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 しかし、その慢心が油断を招いたのかもしれない。本泥棒のサミュエル・レイナー・デュプリは、学生のふりをして何度もNYPLに通い、週末は職員が少ないことに気づいた。そして1931年1月10日の土曜日、司書の1人が交代でいなくなったのを見計らい、閲覧希望カードを提出した。稀覯本を持ってきてもらうと、忘れたふりをしてもう1枚の閲覧希望カードを手渡し、司書が再度書庫に行っている間に、本を持って閲覧室を抜け出した。

 すぐに犯行に気づいた司書は、直通電話で出口の守衛に連絡した。だが、この日は木版画展が開催されており、多くの入館者の対応で忙殺されていた。オフィスの職員がエントランスに走ったときには、すでにデュプリは図書館を出て人混みに消えていた。大胆な手口だが、図書館にとっては不運が重なったというべきだろう。

 盗まれた本は、『アル・アーラーフ』の初版本(1829年)。文豪エドガー・アラン・ポーが学生時代に執筆した詩集であり、大恐慌の1929年に3万3000ドルで取引された記録がある。現物は18点しか確認されておらず、現在価値にして約50万ドル相当とも言われている。

 書架主任は、ただちに図書館特別捜査員G・ウィリアム・バーグキストに通報した。図書館特別捜査員とは、司書であると同時にニューヨーク市警所属の私服警官として犯罪捜査を学んだ専門捜査官である。バーグキストは軍人から図書館特別捜査員になった経験豊富な叩き上げだった。バーグキストは、信頼のある古参ディーラーのアーサー・スワンに協力を求めた。ポーの作品は高額で注目度も高く、市場に出せば噂にならないはずがないからだ。大海に釣り針をたらし、1匹の魚を狙うようなものだが、バーグキストは粘り強く反応を待った。

 行方知れずとなった本は、実はNYPLから徒歩数分の場所にあった。マンハッタン四番街「ブック・ロウ」で古書店を営むチャールズ・ロンムは、図書館から盗んだ本を裏で取引する窃盗団の頭目だった。仲間のハリー・ゴールドは、デュプリのような実行犯を養成し、全米の図書館に送り込んでいた。組織的な犯罪集団という点では、マフィアやギャングも顔負けだ。

『アル・アーラーフ』を手にしたゴールドは、複数のディーラーに声をかけ、最終的にスワンに取引を持ちかけた。スワンから密告を受けたバーグキストは、すぐにゴールドに事情聴取した。この時、本は店の金庫の中にあったのだが、十分な証拠を揃えられずに見逃してしまう。しかしゴールド自身に疑いを抱いたのは流石だろう。

 状況が変化したのは、同年6月8日のことだ。ニューヨークから200マイル離れたボストンでハロルド・クラークという男が古書窃盗罪で捕まった。クラークもロンム窃盗団の一味であり、地方の図書館から本を盗み、ニューヨークに送っていた。逮捕時、図書館の蔵書印を薬剤で漂白する作業の最中で言い逃れができなかった。クラークは、司法取引で罪を減刑する代わりにロンム窃盗団の情報を自白した。

 証言を得たバーグキストは、警官を動員しロンムとゴールドの身柄を確保した。ゴールドが所持していた『アル・アーラーフ』は、すでに蔵書印が消されていたが、NYPLの司書は67ページに秘密の印をつけていたため、盗まれた本だと証明された。さらに店の近くの倉庫を捜索すると、数十万冊にも及ぶ盗難本が発見された。被害額は約500万ドルに達したというから、いかに大規模な窃盗団だったかがわかるだろう。

 稀覯本を盗まれてしまった図書館と、現金にかえる換えることにはやって尻尾を出した窃盗団。結果は、両者ともに引き分けだろう。価値があるから大切に保管するのも、大金で取引するのもわかるが、本の価値は人間が読んでこそだということを忘れてはならない。

文=愛咲優詩