息子を自殺に追い込んだ母親は、いじめをでっち上げ、校長を殺人罪で告訴した【長野・高校生自殺事件の真実】

社会

更新日:2016/9/6

 『モンスターマザー 長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い』(福田ますみ/新潮社)は、自殺した高校生をめぐる、母親と教師たちの、実在した壮絶な闘いの記録である。しかしそこに、勝者はいない。失われた尊い命が戻ることはないからだ。それでも、本書の単行本化(初出は『新潮45』2015年1月号~5月号)によって、事件の真相が再び社会に示されたことが、せめてもの故人への弔いとなることを願う当事者は多いだろう。高山裕太君(当時16歳)がその命と引き換えに、だれに、なにを訴えたかったのか、その声無き悲痛な叫びを、裕太君の周辺にいた友人や学校関係者たちはずっと思い続けてきたに違いないからだ。

各マスコミが一斉に報道した「いじめ自殺事件」

 2005年12月6日、当時、長野県丸子実業高等学校(現・長野県丸子修学館高等学校)の1年生でバレーボール部員だった、裕太君が自宅で首をつり自殺した。シングルマザーの母、高山さおり(本書表記の仮名)は、「自殺はいじめが原因」と主張し学校側を糾弾。新聞・テレビ・雑誌などのマスコミが一斉報道しただけでなく、人権派弁護士も加わり援護体制を固めた。

 マスコミや人権派弁護士にしてみれば、高校生の自殺に、よもやいじめ以外の理由があるなどとは、思いもよらなかったのだろう。そして2006年1月、さおりは、校長を殺人罪などで刑事告訴し、上級生とその両親を相手取り、損害賠償を求める民事訴訟を起こす。

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 このいじめ被害者遺族と学校の法廷劇は、さらにその後、校長などからさおりが名誉毀損で逆提訴されるという、異様な展開を見せる。本書は、裕太君の自殺から裁判にいたる「丸子実業高校バレーボール部員自殺事件」の全貌と真実を明かした、ドキュメンタリー作家・福田ますみ氏による渾身のルポルタージュである。

 福田氏は、前著『でっちあげ―福岡「殺人教師」事件の真相』(新潮社)においても、緻密な取材で事件の全貌を克明に再現させることで、モンスターペアレントの嘘で塗り固められた訴えによって、冤罪の汚名を着せられた教師の潔白を証明してみせた。そんな著者は本書でも、当事者たちの証言やさおりの言動の痕跡・証拠、さらにはさおりの家族や元夫などへの聞き取りで得た事実を丹念に拾い、つなぎ合わせ、事件の全体像を見事に浮かび上がらせていく。

再現ドラマのように克明に描写される事件の現場

 さおりの言動に異変が現れたのは、2005年8月に裕太君が2度目の家出をしたときだった。一度目の家出は入学早々の5月で、このときはその日のうちに市内で発見された。しかし、2度目の際は、様子が違った。さおりと学校職員だけでなく、地元の消防団などにも応援を要請して市内を捜索したが、裕太君は一向に見つからない。

 焦りと苛立ちからか、捜索に協力する学校関係者に対して、次第にさおりの口調は命令的、攻撃的なものに変貌する。「先生、生徒、みんなで捜せ! 原因は学校にある!」などと、さおりは激しく興奮して泣き叫んだという。

 家出の原因はすべてさおりにあった。2度目のときは「バレー部をやめるなら、学校もやめて死んで。携帯電話は置いていけ!」と裕太君を追い詰めたことを、さおりは学校関係者に告白していたのだ。にもかかわらず、学校側を一方的にさおりは責め始めたのである。

 結局、家出から6日後に警察から連絡があり、裕太君は東京で保護された。しかしこの家出事件を機に、さおりの攻撃的な言動は止むことなく、さらにエスカレートする一方となっていく。

 本書では、このさおりの言動や激情によって翻弄される、学校関係者、そして裕太君と友人など、主要な当事者たちの緊張、恐怖や憔悴などが、まるで再現ドラマを見ているかのように克明に再現されていく。

姿を現したさおりの実像=モンスターマザー

 そこに浮かび上がるさおりという母親像、それは決して、日ごろから裕太君に愛情を注ぐ母ではなかった。わが子を幼少期より半ば育児放棄し、「死ね」と罵倒し続け、自由と自尊心を奪うことで操り人形に仕立て上げようとした母。その姿こそが、さおりの正体、「モンスターマザー」だったのである。

  さおりには3度の離婚歴があり、裕太君は最初の夫との子供だ。著者が取材した2番目と3番目の夫の証言から、さおりの実像はより明確になる。それは、完全に人格の分裂した、心の病に侵された人間であるという事実だ。元夫のひとりが相談した精神科医によれば、さおりには「境界性人格障害の疑い」があった。その特徴には、気分や感情がめまぐるしく変わり、激しく怒り、自殺のそぶりを繰り返して周囲に動揺を与える、などがある。本書のページをめくるごとに読者は、そんなモンスターが学校関係者に吐き出す、罵詈雑言の数々を目にする。電話、ファックス、メール、あらゆる手段で抗議し、恫喝し、存在しないいじめの事実を作り上げようとする。

 それは抱えた病の典型症状なのだが、学校関係者たちはそのことを知る由もない。さおりが病院での受診を拒否したため、その心に巣食うモンスターの存在は、ごく一部の身内のみに秘められてきたのである。

 かくして社会に放たれたモンスターマザーは、高校や夫との間だけでなく、職場、所属したママさんバレーボールチームなど、出現する先々でトラブルを起こしていたことも判明する。

「おかあさんが やだ から死にます」

 さて、いじめはあったのか? その疑問には司法の場が答えている。さおりはすべての裁判において敗訴した。さらに、裕太君のポケットにあった遺書。そこに「おかあさんが やだ から死にます」、つまり母が“嫌だ”と記されていたのだ。

 さおりはこれを「おかあさんが ねた から死にます」と細工して、マスコミに公開した。その徹底したモンスターぶりは、まさに筆舌に尽くしがたいものがある。

 また本書には、さおりの実母や実兄 なども登場するが、親族でさえ、常軌を逸して暴走するモンスターをどうすることもできない様が記されている。そして友人、教師や児童相談所などが、裕太君が暗に救済を求めるサインを発信していることに気づくくだりも登場する。

 しかしモンスターは、不登校を強制するという手段で学校と裕太君を分断する。そして、その末に悲劇は起こってしまったのである。

 なぜ、裕太君を自殺に追い込む前に、だれもモンスターの暴走を止められなかったのか。自殺した裕太君が搬送された病院で、実兄がさおりを平手打ちし、「お前が殺したようなものだ」としかるのを目撃されるのだが、時すでに遅し、ではないか。

 もし、さおりの心に棲みついたモンスターに対して、周囲のだれか、あるいは地域社会が勇気を持って、福祉もしくは医療などの必要な措置をもっと早くに講じていたなら…。モンスターマザーも本書も、この世に現れることはなかったのかもしれない。

文=町田光