「優等生妊婦」じゃありません。さくらももこによるリアルな妊娠・出産の記録

出産・子育て

公開日:2016/4/3


『そういうふうにできている(新潮文庫)』(さくらももこ/新潮社)

 もしもある日、自分の体の中に、何か別の生命体が居座っていることが判明したら、あなたはどうしますか? その生命体は既に、あなたが摂取した栄養の一部を、自らのものとして取り込み、日々成長しているのです。エイリアン? 寄生虫? それとももっと、別の何が…?

この腹の中に、何かがいるのである。大便以外の何かがいる。

 こんな衝撃的な序章から始まるのが、さくらももこ氏による妊娠・出産体験記『そういうふうにできている(新潮文庫)』(さくらももこ/新潮社)です。妊娠・出産エッセイ花盛りの昨今。同ジャンルの書籍は星の数ほど出版されていますが、本書の特長は、妊娠から出産までの日々において、著者が抱いてしまった負の感情や、恥ずかしい思いをしたエピソードまでもが、飾らず隠さず記されていることです。

 例えば、帝王切開の手術が終わって病室に戻り、ベッドで我が子とともに横になった時のこと。漫画やドラマでは、いかにも幸せのピークとして描かれそうな場面ですが、さくら氏の場合は、どうやらそれほどでもなかったようです。

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私はいつ大感動が訪れるのかとずっと待っていたのだが、訪れぬまま遂に夜になってしまった。私はこんなにも無感動だったのであろうか。自分の感性の粗末さに軽く失望を抱いた。傍らのベッドで眠る赤ン坊に、とりたてて特別な愛情さえ湧いて来ないのも奇妙な気がしていた。だが、考えてみれば私は誰に対してもいきなり愛情ホールインワンというふうにならない性質(たち)である事を思い出した。元来人見知りをする方であるし、今日初めて会った赤ン坊(ひと)」から「はい、じゃ一発愛情よろしくっ」と言われたからって、さっき会ったばかりなのだから急に愛せるわけがない。

 いくら体内から出てきたからといって、産んだ母親と、生まれてきた子どもは別個体です。さっき初めて会ったばかりの誰かに、人見知りの自分がいきなり、爆発的な愛情など注げるわけもない…という理論は、至極当然なもの。現在妊娠されている方が読んだら、「夢を壊すな」と怒られそうな、正直すぎる告白ではありますが、こうした感想を聞けるというのは、考え様によっては、貴重なことなのかもしれません。

 著名人が出す妊娠・出産体験記であれば、本人のイメージダウンに繋がりかねない内容は、まず掲載されません。美人で、お洒落で、幸せそうで…そういったマタニティ・エッセイには、おおよそ共通したストーリーがあるようにも思えます。出産は彼女たちにとって、大変だったけど「幸せ」なできごとであり、そして出産を経験した今は、生まれてきた…否、「生まれてきてくれた」子への感謝と、母としての生きることへの「充実感」に満ち溢れている、というものです。

 こうしたまばゆい内容は、初産を控えた妊婦さんにとって、大きな希望を与えるものでしょう。しかしその希望は、天高く積み重ねたところで、心に同居する「不安」を打ち消してくれるものではありません。思えば、私たちが学校で受けた家庭科の授業や性教育は、子どもを持つことの幸せや理想の家庭像についてはしつこいほどに説いてきたくせに、その「大変さ」や「つらさ」については、ほぼノータッチでした。

 だからこそ本書のような、生々しい「産みの苦しみ」についてもしっかりと触れた体験談は、価値が高いといえるでしょう。妊娠中に訪れたレジェンド級の便秘やマタニティブルー、理由もなくイライラして仕方ない情緒不安定期など、先輩妊婦さんにも尋ねにくい話すら包み隠さず綴ってくれるのは、やはり『ちびまる子ちゃん』の作者ならではです。

 1995年に発行された同書には、聖母のような微笑みで我が子を抱く筆者の姿も、バリバリに加工されたマタニティヌードもありません。良い育児をという崇高な目標も掲げていませんし、それどころか、小さなその命を殺してしまわないことに精一杯。赤ん坊との現実的な日々を描いた奮闘記は、女性には勿論のこと、妊娠・出産を控える女性をパートナーに持つ男性の方にもぜひ、手に取っていただきたいと思います。

文=神田はるよ