「意外な真相」のバーゲンセール! 物語の半分が推理パートで構成された本格ミステリーの極北!!

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/15


『ミステリー・アリーナ』(深水黎一郎/原書房)

不可解な事件を探偵が手掛かりに基づいて推理し、論理的に真相を導き出すというミステリー小説のひな形が誕生したのは、一般的に1841年であるといわれている。エドガー・アラン・ポーが『モルグ街』で考案したその形式は、後に続く作家に踏襲されて、英米を中心に知的遊戯の文学として発展を遂げてきた。しかし、誕生から100年が経過した頃からミステリー小説は、サスペンスやハードボイルド、あるいは警察小説といった人間心理やリアリティを重視したものへとシフトしていく。犯人がアリバイ工作や密室トリックを弄して連続殺人を行うような古典的なミステリーは、あまりにも作り物めいていて次第に読者の支持を失っていったのだ。

欧米のそうした傾向に対して、日本のミステリー小説はそれとは異なる道を進んでいく。時代による浮き沈みはあったものの謎解きを中心としたミステリー、いわゆる本格ミステリーは欧米のように完全な衰退に向かうことはなく、常に日本の読者に愛され続けてきた。戦前の短編を中心とした探偵小説に始まり、名探偵・金田一耕助を生んだ戦後の本格推理ブーム、80年代の終わりから90年代にかけて起こった新本格ブーム、さらには、コミックの世界でも名探偵が活躍する作品が大ベストセラーになるといった具合である。こうして、本格ミステリーが日本独自の発展を遂げる中で、2015年にはその極北とでもいうべき作品が誕生した。深水黎一郎氏の『ミステリー・アリーナ』(原書房)である。

本格ミステリーの最大の見せ場といえば、なんといっても探偵役による推理シーンだ。錯綜する謎を明晰なロジックによって解き明かすくだりにミステリー好きの読者はカタルシスを覚えるのである。本作は、その推理シーンが15回もあるのだから尋常ではない。意外な真相の醍醐味を何度も味わえる実に贅沢な作りになっているのだ。

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舞台は、テレビで生放送中のスタジオ。そこでは年に1度、視聴者参加のゲームが行われる。ゲームの内容は、読み上げられていくミステリー小説を聞きながら作中で起こる殺人事件の犯人と犯行方法を推理していくというものだ。ルールは早押しで、解答権は一度きり。最初に正解を答えると20億円を獲得できるが、それ以外の人間は医療用臓器を強制的に提供させられるデスゲームだ。読み上げられる小説の中では、大雨によって橋が崩落し、陸の孤島と化した屋敷の中で定番通りの連続殺人が進行していく。14人の解答者は、それぞれ独自の推理によって犯人を指摘していくが…。

複数の探偵役が、推理合戦を繰り返す作品自体は、それほど珍しいものではない。1929年に発表された『毒入りチョコレート事件』(アントニイ・バークリー/東京創元社)以来、幾度となく書かれてきた本格ミステリーの定番のひとつだ。しかし、推理を15回も繰り返すという趣向は、おそらく前代未聞だろうし、それ以上に斬新なのは、探偵役たちが叙述トリックを暴こうとしている点だ。

叙述トリックとは、文章の中になんらかの仕掛けを施すことによって、読者に錯覚を起こさせる手法である。例えば、佐藤太郎という登場人物がいたとする。彼はある殺人事件の容疑者だったが、佐藤太郎は途中で殺されてしまう。当然、読者は真犯人が別にいると考えるが、最後に佐藤太郎が逮捕されて物語が終わる。実は、殺された佐藤太郎と容疑者の佐藤太郎は同姓同名の別人だったのだ。このように、作中の人物にとっては謎でもなんでもないのだが、読者を騙すためだけに使われる仕掛けが叙述トリックである。

かつては、トリックといえば作中の犯人が、捜査陣の目を欺くために仕掛けるものがメインであった。アリバイ工作や密室トリックなどは、その代表的なものだ。しかし、長年にわたって色々なトリックが創出され続けた結果、アイディア自体がパターン化してしまい、それだけで読者に衝撃を与えるのは困難になっていく。その結果、読者の意表をつきやすい叙述トリックが偏愛されるようになったのが、本格ミステリーの現状だ。確かに、叙述トリックを用いた優れた作品は、想定外の真相を提示し、読者に衝撃を与えてくれる。しかし、それはひっかけ問題のようなもので、そればかり続くと食傷気味になるのも確かだ。

そして、本作の探偵役である解答者たちは、その現状に染まりきっているため、正攻法での推理などはしない。文章にひっかけがあるのを前提に、パターンを先読みして真相に至ろうとするのだ。その本末転倒な有様は、近年の本格ミステリーが抱える問題に対する優れたアンチテーゼとなっており、ミステリーマニアにとってはニヤリとしながらも考えさせられる内容になっている。同時に、ミステリーに詳しくない読書に対しては、現代の本格ミステリーがどのようなものか知る格好の一冊になるだろう。もちろん、単純にミステリーを楽しみたい人にとっても、叙述トリックの見本市であり、どんでん返しの連続である本作は、至高の一冊だ。

『ミステリー・アリーナ』は、批判的視点も含め、日本独自の進化を遂げた本格ミステリーのひとつの到達点である。ここを起点として本格ミステリーが、いかにして新たな一歩を踏み出すのかに注目していきたい。

文=HM