絶望から立ち上がり、SEALDsを創設した理由とは? 奥田愛基23歳の怒りと祈り

政治

公開日:2016/6/29

 初の著書『変える』(河出書房新社)でいじめや自殺未遂といった壮絶な過去を告白した奥田愛基さん。死ぬことばかり考えていた時代を経て市民運動に目覚めた彼はいかにしてSEALDsの奥田愛基になったのか? 昨年夏の10万人規模のデモの舞台裏とは? SEALDs解散後はどうするのか? インタビュー後編で語った、奥田愛基23歳の怒りと祈り。

【前編はこちら】いじめ、不登校、自殺未遂……。SEALDs奥田愛基の壮絶な過去と、「生きる」ために読んだ本との出会い

ただ生きている状態から、なんで生きているのかを考える

――自分で探して入学したキリスト教の全寮制高校でも、人や本との出会いが奥田さんの人生に影響を与えています。校長先生の言葉ルソーの言葉が特に印象的でした。

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「いいかい。人生の答えはひとつじゃない。それは君自身が考えて決めることだ。ここはそういう学校だよ」
こんな当たり前のことに、なんで気がつかなかったんだろうか。自分の人生の答えは自分で考えてもいい。空気を一生懸命に読むよりも、そっちのほうがよっぽどいいと思った。p.53−54

この頃の僕は哲学者のルソーの「われわれは、いわばこの世に2度生まれる。一度目は存在するために、2度目は生きるために」の意味をひたすら考えていた。今考えれば、相当気持ち悪い高校生だ。だいぶイカレてる。けれど、この時は真剣に考えていた。p.60

奥田愛基さん(以下、奥田) 高校の校長先生の言葉を聞いたときは、ハッとしました。ただ生きている状態から、なんで生きているのかを考えること。それは例えば、なんでこんな勉強しなきゃいけないんだろうとか、なんでこういうことやってるんだろうと思うことも、その価値の判断は自分で決めていいんだよっていう意味で、ああ、そっか!と。なんでこんな肝心なことに気づかなかったんだろう、もっと早く気づいていたらいろんな生き方ができたかもしれないって15歳のときに思いました(笑)。

――その高校で平和学を学ぼうと思ったのは?

奥田 学校の平和教育がイヤすぎたんです。僕のなかでは平和ってすごく重いもので、路上で死んでいく人たちも含めて人の生き死にってそんなに軽いもんじゃないという思いがある。でも授業では、生徒が騒いだり寝てたりしてるところで、先生が戦争体験者の話を聞かせる。そんな状況なのに、授業後の感想文ではみんないいことばっか書いてる。

 そもそも、話が終わったあとの先生の言葉も、「今の話きいてそれ?」みたいなことも多いし。まあひねくれていたんでしょうけど、平和っていうものを自分なりに考えてみたかったし、戦争ってどういうものなのか調べてみたかった。

 マニュアルやカタチや雰囲気だけで進んでいく社会の流れに抵抗したり 、自分の肌感覚や実感に正直に生きようとしたりする姿勢がその頃からよりはっきりと感じられます。

奥田 中学でも高校でもそういうことを考えていて、その自分の自意識みたいなものがすごくうっとうしいなと思ってました。頭で理解していることに心がついていかなくて、論理的に考えるとある程度は説明できるんだけど、肌感覚で考えるとその都度とらえ方が変わっていくというか。でも感情って揺れ動くし人間ってそういうもんだから、そのなかで大事なことを見失わずにどうやって生きていくかですね。

絶望に勝ったのではなく希望に負けた

――東日本大震災の被災地に1年半ボランティアとして通い続けたこと、現地の人たちとの出会い、園子温監督の映画……。そういった経験が決定打となって、はじめてのデモ参加や市民運動につながっていったんですね。

奥田 園子温監督の映画『ヒミズ』の主人公は自分そのものでした。最後の「希望に負けました」っていうシーンに救われたので、あそこでもし彼が死んでいたら僕も危なかったと思う。

 ボランティアに通い続けた後の2012年後半はまた憂鬱になったんですが、はっきりと自分が変わったのは「死のう」とは思わなくなったことです。死にたくなっても死なないように考えることができるようになった。あの頃から自分が進むべき方向が見えてきました。

「僕は非常に、人間って言うのはこんなもんだよという絶望的な姿を丸裸にするような映画を撮り続けてはいたんですけれども、それだけではもうやっていけないなというのが3・11以降の自分の映画のあり方で、それをやっぱり『ヒミズ』は自分の中の映画史、映画を作り続けてきた中で非常に転向したというか変わらざるをえなかったということです。それはひとついうと絶望していられない、へんな言い方で言うと希望に僕は負けたんです、絶望に勝ったというよりは希望に負けて希望を持たざるをえなくなった」(“希望に敗北した”園子温監督『ヒミズ』を語る/NHK「かぶん」ブログ)
この映画を見て、当時の僕は呼吸ができなくなるぐらい泣いたことを覚えている。このインタビューで監督が言っていることは、当時自分が考えていたこととかなり近いp. 75-76

――その後、海外放浪を経てSEALDsの前身となる「SASPL(サスプル:特定秘密保護法に反対する学生有志の会)」を結成します。終電を逃して仲間たちと居酒屋で話しているときに「はじめよう」とデモをやることを決めた。その一歩を踏み出せた一番の要因は何だと思いますか。

奥田 やっぱり震災後の政治に対して、本当に国民のことを考えてやってくれてますか? 何にプライオリティを置いてますか? という点で非常に不満だったことです。

 今困っている人たちのための政治をしてほしいのに、自民党の改憲草案を見てもそうですが、「国家」中心のイデオロギーが前面に出てくるばかりで、どう考えても今の政権が目指す方向は、僕たちの生活に根ざしたものとは、ちょっと違うんじゃないかと思っています。

 もうひとつは、社会における若者の立場が軽視されてきたことに対する不満です。若者は政治に無関心っていうのが世間の基本的なスタンスで、ちょっと何かやると「若いのにエライね」とか言われるのもその軽視の裏返しだと思う。そうやって若者の発言権が奪われているなかで、これまで声をあげてこなかった同世代の若者が公の場でスピーチすることの重要性を感じました。

――ラップ調のデモやファッションに対するこだわりなど、“ヘルメットと拡声器”という従来のデモのイメージを塗り替えようとした意図は?

奥田 よくラップ調と言われたり書かれたりするんですけど、実際そんなことは全然ないんですけどね(笑)。ファッションだって別にみんな、いつも着てるものを普通に着てるだけだし。

 ひとつ言えるとすれば、政治が何か特別なものとして日常から切り離されている状況を変えたかったんです。自分たちの生活の延長線で政治を語らないといけないし、「これいいよね」「あれはよくないよ」って普通に話せるようにならないと、入り口が間違っているように思う。例えばクラブで踊ってるとき、トラメガ(拡声器)の音で音楽を聴きたいと思ってる奴なんて誰もいない、それと同じ感覚です。

「みんなお客様かよ、傍観者になってる場合じゃないでしょっ」て

――SEALDsも参加の呼びかけをしたデモに10万人が参加した去年の夏のことが表も裏もリアルに綴られていて、日本の歴史に新たな1ページが刻まれたことを改めて感じました。あのときのことはどう受けとめましたか?

奥田 逆に「そうならなかったらウソでしょ?」って思いました。デモに参加しなかったメディアの人たちも、実際に会ってみると「今の安倍政権はよくないね」とか語りはじめたりして、「そう思っているんだったら行動すればいいじゃん。こんなところで嘆いているぐらいだったら動いてくださいよ」って何度も思いましたね。「みんなお客様かよ、傍観者になってる場合じゃないでしょ」って。

 僕のことを面白がって近づいてくる人はいるけど、会社がどうとか家族がどうとか「そうは言ってもうちはいろいろ大変で」って言い訳ばかりする。それなのに「奥田くんはもっとこうしたほうがいいよ」みたいなこと言ってくるから、「なんかおかしくね? それって」と思いますね。勉強したり学費や生活費を稼ぐためにバイトしたり、毎日大変なのは僕たちも同じなので。

――SEALDsのSNSの広がり方を見ると、世の中を変えたいと思っている人たちが潜在的にかなりたくさんいますね。

奥田 僕もそれはすごく感じます。そういう人たちには「もっと声を出したかったら出したほうがいいよ」って言いたいですね。ネットで言いたいことを言う人は増えてきたけど、そこからさらに一歩踏み出して、ふだんの生活のなかで隣にいる人にそれとなく話しかけてみたりすると、思ってもみなかった言葉が返ってきたりする。そうするとまた見えてくる世界が違ってくる。

 だからまず自分自身が変わること。SEALDsも今までやらなかったことを積み重ねることでここまでやってこられたんです。それとトライ&エラーを繰り返しながら失敗しても続けていくことが大切です。何かひとつやると次につながるのが政治参加の面白いところなので。

世の中すべてを変えることはできないけど、昨日よりはマシになるかもしれない

――7月の参院選でSEALDsは解散するそうですが、大学院に通っている奥田さんはじめ、周りのメンバーたちのその後どうするのでしょうか。

奥田 みんなどうするのかな……。市民連合(安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合)で活動を続けていく奴、留学する奴、就職する奴、いろいろだと思います。

 僕は昨年末に設立したReDEMOS(リデモス、政治課題の分析や政策提言をおこなうシンクタンク)での活動を続けながら、SEALDsが解散して落ち着いたらデモ以外のやり方も含めてまた新しいことにチャレンジするつもりです。

 政治の分野って未開拓だから、今はすごいチャンスなんですよ。特に若い世代は数が少ないだけに注目度が高まる。18歳の有権者が駅前で演説したら、下手な政治家より影響力あると思います。

 このインタビューを読んでくれている人たちが肌感覚で政治を語るようになったら、今の政治の光景は全然違うものに変わります。世の中すべてを変えることはできないけど、昨日よりはマシになるかもしれない。そのぐらいの気持ちで緩やかにしなやかに、僕はこれからもあきらめずに一歩一歩前に進んでいくので、ひとりでも多くの人に一緒に動いていってほしいと思っています。

 最後に、バブル崩壊後の「失われた20年」に生まれ育った奥田さんと同世代のSEALDsメンバー牛田悦正さんの言葉を本書より紹介したい。

大人が絶望絶望言ってると、『わかった、わかった』って。俺ら最初からそれだったから。最底辺からはじまってるんで、あとは上がるしかないっしょ

取材・文=樺山美夏

(プロフィール)
おくだ・あき●1992年福岡県北九州市生まれ。2011年、明治学院大学国際学部に進学後、2013年、東日本大震災をテーマにした短篇ドキュメンタリー「生きる312」で国際平和映像祭グランプリを受賞。同年12月、10代から20代の大学生を中心としたグループ「SASPL」(サスプル:特定秘密保護法に反対する学生有志の会)を友人らと結成。その後2015年5月、「SEALDs」(シールズ:自由と民主主義のための学生緊急行動)を創設。同年夏、安全保障関連法案に反対する国会前抗議を毎週金曜日に主催し、大きな注目を集める。2016年春、大学を卒業後、大学院修士課程に在籍中。共著に『民主主義ってなんだ?』など。

【前編はこちら】いじめ、不登校、自殺未遂……。SEALDs奥田愛基の壮絶な過去と、「生きる」ために読んだ本との出会い