死刑の確定から執行までの間、死刑囚たちはどう過ごしているのか――肉声から見た実態

社会

公開日:2016/7/1


『ドキュメント 死刑に直面する人たち――肉声から見た実態』(佐藤大介/岩波書店)

 罪を犯した人間が命をもってその罰を受ける「死刑」。

 国が1人の人間の命を合法的に絶つことができる死刑制度は、長い歴史の中でさまざまな議論がなされてきた。しかしそのような議論の裏では実態がわからないがゆえに別の世界の話であるかのように感じてしまっている人も少なくない。2015年12月、裁判員制度により民間の人が判断し刑を受けた人に初めて死刑が執行された。いまや自分の一判断が1人の命を奪うことになるかもしれない。次の裁判員裁判にあなたが選任されたら、あなたは無知のままでその重みを担って判断をすることができるだろうか?

 死刑を受けるとはどのようなことなのか。死刑が確定した者たちは執行日となるその日までどのように過ごしているのか。多くの人が事実を知らない背景に、日本の死刑制度が情報を公開しない密行主義がある。そのような中で死刑の実態を知ることができる1冊の本がある。『ドキュメント 死刑に直面する人たち――肉声から見た実態』(佐藤大介/岩波書店)は、加害者・被害者家族、刑務官、弁護人、法務官僚など死刑執行関係者の声を得ることで、死刑にかかわる問題に可能な限りの核心に迫ったドキュメンタリーとなっている。

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 本書は3つの章で構成されており、第1の章で紹介されているのは日常生活から執行されるその日までの死刑囚たちの実情だ。部屋の中に部屋がある構造の独房や他の被収容者から隔離された金網越しの空しか見えない壁の中の1人用運動場で、残された一日一日を過ごす死刑囚たち。執行日を知らされぬままに迎える当日、お迎えとなる足音が近づく朝、刑場までの道を歩み進める時間、ボタンが押され踏み板がはずされるその瞬間の様子が、刑場の見取り図とともに事細かに描かれている。さらに地下鉄サリン事件で世間を震え上がらせたオウム真理教の元信者など計78名の確定死刑囚たちから集めたアンケートの回答内容とともに、執行当日までの死刑囚たちの胸中も赤裸々に明かされている他、通常なかなか知ることのできない執行関係者たちの想いも紹介されている。死刑執行には必ず執行する人がいて、仕事とはいえ人殺しに加担してしまったという思いに心を痛めている人間が存在するという当たり前のことに気付かされる。

 第2の章では償いについて書かれている。熊本の民家で男女を殺した死刑囚や、減刑により死刑を免れた「名古屋アベック殺人事件」の加害者の1人である受刑者、被害者遺族の姿を通して、何をもって償ったとし、何をもって反省したと言えるのかという難しいテーマについて考えさせられることだろう。

 そして第3の章では、火あぶりやさらし首などと比べて精神的肉体的苦痛が少ないと判断されている絞首刑の残虐性の有無、死刑存廃問題について、世論や歴史的観点などあらゆる視点から死刑制度そのものについて論じられている。

 死刑とは何か。命を奪うとはどういうことなのか。本書で知る全てのことは、たくさんある事件、ある拘置所での一例かもしれない。しかし、それも含めて全てが実際に起こっている真実なのだ。

 ところで、死刑という特別な刑の確定を受けた人たちは、死刑へ向けてのさまざまなケアから特別なエリアに収容されていると思っている人もいるのではないだろうか。しかし、実際の部屋割りは死刑囚も一般の収容者と同じ棟に収容されており、私たちには想像もつかない特殊なルールがあるという。確定死刑囚の入る房は一房抜かしで奇数番号。間に挟まる偶数番号の房には、東京地検特捜部が扱った事件の被告人など社会的に著名な人物が入るようにする。そして、その著名人たちには周りに確定死刑囚が入ることは秘密にしておくこと。これがどのような効果を持つのか、想像もつかないが、このような事例が本書のいたるところで紹介されている。

 日々起こる事件、裁判のニュースを私たちは数多く耳にしているのに、そこにあるとても重要な事柄でさえ知らないことはたくさんあるもの。何かを決断するとき、何も知らずに決断するのと、いろいろな情報をもって決断するのとでは、その先思うことや感じることは異なってくるだろう。人間の人生や命にかかわることならなおさら。「死刑」の実態を知ることでこの先悔いのない判断ができるように、この機会に『ドキュメント 死刑に直面する人たち――肉声から見た実態』で死刑について知り、考えてみてはいかがだろうか。

文=Chika Samon