和食の基本は江戸! 長屋に住む庶民から将軍まで、江戸の食事情を紹介

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/14

『江戸っ子が好んだ日々の和食』(中江克己/第三文明社)

ファストフード店やコンビニエンスストアから高級レストランまで、いつでもどこでも、美味しいものが食べられる日本。地域で差はあるものの、これほど食が充実した国は、あまり多くはないだろう。外国の様々な料理も食べられるし、繊細でヘルシーな和食は海外からも注目を浴びてきた。2013年には「和食:日本人の伝統的な食文化」がユネスコの無形文化遺産に登録されたが、これは四季折々の豊かな自然を尊んで生まれた食に関する習わしが評価されたためだ。

江戸っ子が好んだ日々の和食』(中江克己/第三文明社)では、そんな和食の基本がつくられたと言われている江戸の食事情が詳しく解説されている。

最近では食事の欧米化が進んでいるが、やはり日本人の主食と言えば白米。江戸の初期には、まだ玄米に近いものが食べられていたが、後期になると、江戸の町では裏長屋で暮らす人も白米を食べていたそう。やはり白いご飯は美味しかったようで、人々が白米ばかり食べるようになり、その結果、「江戸患い」と恐れられた奇妙な病が流行した。玄米には豊富に含まれるビタミンB1が、白米に精米する過程で失われたため、脚気になる人が続出したのだ。

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白米が流行ったおかげで、安価で大量に出回るようになったのが糠。これにより、糠を使う漬物が盛んに作られるようになった。白いご飯にぬか漬けなんて、想像しただけでもよだれが出そうだ。江戸の人々も、ぬか漬けでご飯をおかわりしていたのだろうか。

現代の日本では、1日3食が基本とされているが、この習慣が確立されたのも江戸だった。江戸の初期には、まだ1日2食が一般的だったが、朝食と夕食の間に間食をすることはあったそう。特に、大工などの肉体労働に従事する人にとっては、間食は当たり前だった。そして、これが1日3食の食習慣へと発展していったようだ。

江戸時代には、屋台も一般的だった。家に今ほど充実した台所はなく、安く気軽に食べられる屋台は庶民の味方だったのだ。そして、屋台から人気に火がついて普及していった料理も少なくない。

代表的なものは天麩羅。具を串に刺して揚げ、大皿に並べて売られていた。当時、家で天麩羅は調理できず、手軽に食べられることもあって評判となったそう。

少し意外だったのは、鮨。今でも立ち食いの鮨屋はあるが、屋外の屋台で、しかも握り鮨が食べられたというのには驚いた。ネタが新鮮で、すぐに食べられるので江戸の庶民に大人気となったようだ。しかし、今のように冷蔵庫などはなかったため、ネタは“づけ”にしたり、焼いたりしていた。

和食の代表である鰻の蒲焼きも、江戸で定着した料理。江戸時代以前から夏バテ防止に食べられていたが、現代につながる味は江戸で作られたものだった。有名店だけでも200軒を超えていたそうで、その人気ぶりがうかがえる。ちなみに、「江戸前」という言葉は鰻から始まった。今では当たり前のように使用している割り箸を考案したのも鰻屋。繰り返しの使用をしない清潔感が評判となった。

江戸の食事情を見てみると、生活様式は大きく変化したものの、当時も現代も日本人の愛する味に変わりがないことが分かる。おせち料理をはじめとする節目ごとの料理も、江戸で確立されたものが多い。日本ならではの四季折々の和食を改めて楽しんでみたくなる、そんな一冊だった。

文=松澤友子