人工妊娠中絶、売買春、貞操問題に切り込み28歳で殺害された伊藤野枝。大正時代のフェミニズム運動をけん引した彼女の生き様とは?

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/14


『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』(栗原 康/岩波書店)

カフェにデパート、大正デモクラシーに大正モダン。新たな政治・文化が次々と誕生し華やぐ一方で、女性はまだまだ自由に生きられなかった大正時代。ならばどうするか? 周囲からどう批判されようと、とにかく自分に正直に生きて、人生を謳歌するまで。

そんな生き方を貫いた女性がいた。新進気鋭の政治学者、栗原 康氏による評伝『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』(岩波書店)の主人公、作家にして女性解放運動家だった伊藤野枝(いとうのえ、1895年1月21日―1923年9月16日)である。

その文才を買われ17歳で、女性著述家たちによるフェミニズム運動のオピニオン誌、月刊『青鞜(せいとう)』の社員筆者となった野枝は、その後21歳までの4年間、同誌に幼少期よりつもらせた思いのたけをさまざまにぶつけた。

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(前略)人間の本性を殺すようなもしくは無視するような道徳はどしどし壊してもいいと思います。
(『青鞜』第四巻第六号「S先生に」より。1914年8月。本書より引用)

グッとくる言葉ではないか。この道徳とは、当時の社会通念である。女性は家長に服従し、縁談があれば学校は即時退学。そして良妻賢母となることが生きる道。勉強する自由も恋愛の自由も財産権もない。夫の妾(めかけ)は公然の存在だが、妻の不倫は「姦通罪」になる時代。そんな理不尽な道徳など、どしどし壊しましょうと。

野枝は20歳からの2年間、『青鞜』の責任者(発行人)となる。その意味では、大正時代のフェミニズム運動を短期ながらもけん引したといえる。そして、女性著述家たちと間で「貞操論争」「堕胎論争」「廃娼論争」などを繰り広げたことが、本書に記されている。

ここでは野枝の貞操観を紹介しよう。著者は、野枝が貞操論争で書いた文章を引いた後、こんな解釈を示している。

野枝にいわせれば、そもそも貞操という発想がおかしい。(中略)貞操というのは、そういう男たちの願望をかなえるためにつくられた不自然な道徳にすぎないのだと。
(本書より引用)

「そういう男たち」とは、女は家の中に囲っておくものと考える、旧態依然とした家族制度にとらわれた男たちだ。そして野枝は、その文章の最後をこう結んでいる。

ああ、習俗打破! 習俗打破! それより他には私たちのすくわれる道はない。呪い封じ込まれたるいたましい婦人の生活よ! 私たちはいつまでもいつまでもじっと耐えてはいられない。やがて──、やがて──。
(『青鞜』第五巻第二号掲載「貞操についての雑感」より。1915年2月。本書より引用)

この習俗(習わし)に対する猛烈な反抗心が、野枝の人生の羅針盤だ。ペンの力に訴えただけではない。実生活でも、親類が決めた結婚をものの数日で放棄し、自由奔放に恋をした。周囲に反対されようと警察からマークされようと、自らの感性で伴侶(ダダイストの辻潤、アナキストの大杉栄)を選び、2人との間に計7人の子供を産んだ。そして享年28ながら、濃厚で、熱い人生を駆け抜けたのである。

「やばい。しびれる。たまんない。」──上記の決意表明のような野枝の結びの文章を引いた著者は、こう独特の脱力系表現で野枝を称賛する。本書にはこのように、著者の野枝に対する共感とリスペクト、そして愛が、ひらがなの多用と「すごい、すごい」などの繰り返し言葉が生むゆるいトーンに包まれつつ随所にほとばしっている。

一方で本書に描かれる野枝の人生は、大正時代そのものとシンクロするかのように、短くも波瀾万丈で、生涯を賭した自由を求める戦いは、緊張感に満ちている。そんな伊藤野枝という女性にとっては、平成のいまでさえ、決して満足できる社会ではないはずだ。

「習俗打破! もっと本能のままに、もっと自由に、わがままに生きろ!」。こう、現代の私たちを喝破(かっぱ)するに違いない。

文=町田光