大人の夏休みの課題図書に。『川辺に生きるノラ猫たち』で考える、人間と猫とのフェアーな関係

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/14

川辺に生きるノラ猫たち』(中野楓子/牧野出版)に登場するのは、埼玉県南部の河川敷で暮らす猫たち。いわゆる飼い主のいない猫です。地域猫活動や、保護した猫の里親を探すシェルター、里親への譲渡を目的とした保護猫カフェをはじめ、飼い主のいない猫を減らす取り組みが各所で盛んになりつつも、まだまだ多くの”ノラ猫”がいる現状があります。

(C)Fuko Nakano

ノラ猫という言葉が「飼い主のいる猫」の登場後に生まれたのは、論をまちません。「紙の書籍」「固定電話」「実際の店舗」などと同じように、同じ猫でも区別する必要があったわけで、ノラ猫という存在は人間側の都合で生まれたとも言えます。

(C)Fuko Nakano

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本書にもあるように、種としてのイエネコが生まれたのも、人間との関係によるものでした。

私たちが今、ふつうに「猫」と呼んでいる「イエネコ」は、元々この世に存在しませんでした。彼らが誕生したのは古代エジプトだと言われています。農作物をネズミの害から守るために、人は「ヤマネコ」を飼い馴らし、小型化して手元に置くようになったのです。
それから数千年……。彼らはもう、ヤマネコには戻れません。人に捨てられても、嫌われても、人の近くでしか生きられないのです。

これらの事実は、ある勘違いを招きがちです。すなわち「人に飼われずに、人家の近くの”自然”に暮らすのが、本来の猫の姿」だという誤解です。

(C)Fuko Nakano

専業主婦が一般的だった時代はとうに過ぎてしまったのと同様に、”本来の姿”だと思っていたものは、猫と人間との長い歴史から見れば一時期の話。それまでもそうだったように、人間の生活様式が変われば、その変化に応じて猫の暮らしも変わっていなければなりません。人間の生活は変わっているのに、猫だけ昔のままであるべき、というのはアンフェアーであります。

(C)Fuko Nakano

『川辺に生きるノラ猫たち』で、丹念に描かれるノラ猫の問題、それに連なる殺処分や保護活動の問題の原因はノラ猫にあらず、人間の側にあるわけです。その解決を試みる各種の活動は、人間社会が時代とともに変化しつつあるなかで、猫との関係を新たに構築していることの現れと言えましょう。

(C)Fuko Nakano

ノラ猫とその周囲を取り巻く人たちから垣間見える、猫と人間との関わり方の模索という通奏低音を脳内に静かに響かせつつページをめくり、かわいやいとしやと目を細めながら考える夏休みってのも、たまにはいいんじゃないかと思います。

文=猫ジャーナル