【今週の大人センテンス】泣きながら笑顔で答えた福士加代子の強さと美しさ

スポーツ

公開日:2016/8/24

写真:日刊スポーツ/アフロ

 巷には、今日も味わい深いセンテンスがあふれている。そんな中から、大人として着目したい「大人センテンス」をピックアップ。あの手この手で大人の教訓を読み取ってみよう。

第21回 残念な批判と、それに対する大きな批判

「金メダル取れなかったあー! でも、がんばったー! ほんとしんどかったー!」by福士加代子

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【センテンスの生い立ち】
2016年8月14日に行なわれた、リオ五輪の女子マラソン。福士加代子選手(ワコール)は、大会前から金メダルが目標と公言していたが、結果は14位。残念ながら目標には届かなかったが、ガッツポーズでゴールイン。あふれる涙をタオルで拭い、しかし明るい笑顔を見せながら、いつもの“福士節”で、メダルを取れなかった悔しさとやり切った気持ちを率直に語った。そんな福士のコメントに、ネット上では多くの批判が巻き起こる。

【3つの大人ポイント】
・うつむかずに顔をあげて笑顔を見せてくれている美学
・涙を流しながらも明るく語ろうとするケナゲさと強さ
・結果的に多くのことを考えるきっかけを与えてくれた

 22日の閉会式で幕を下ろすリオデジャネイロ五輪。たくさんのヒーローが生まれ、たくさんの名場面がありました。「勝者」にスポットが当たりがちですが、残念ながら目標がかなわなかった「敗者」の言葉にも着目したいところ。いろんな感情が入り混じるだけに深みや厚みに満ちていて、大人として多くを学ぶことができます。

 とても印象的で、とても心に響いて、その後さまざまな反響があったのが、女子マラソンで14位に終わった福士加代子選手のレース後のインタビュー。入賞にも遠く及ばない結果に終わって、言葉では言い表せないぐらい残念で悔しかったに決まっています。しかし彼女は落ち込んでうつむくのではなく、笑顔で天をあおいで「あー」と声を発したあと、テレビのマイクに向かって「金メダル取れなかったあー!」と明るい声で叫びました。

 福士選手は、長く日本の長距離走の世界を引っ張ってきました。サービス精神旺盛な発言はしばしば物議を醸し、親しみを込めて「みちのくの爆走娘」とも呼ばれています。彼女は以前から「レースが終わったら笑顔でいたい。つらい顔をしていたら周りも自分も暗くなってしまう」と語っていたとか。たぶん誤解を受けることも十分に承知の上で、人生でもっともつらい瞬間にも、ポリシーを貫いて福士加代子であり続けました。

 ところが、この胸を打つインタビューが、おもにネット上で多くの批判を浴びてしまいます。「負けたのにヘラヘラしているのは品がない」「とても腹が立った」「14位のくせに金メダルが取れなかったと悔しがるのはおかしい」「日の丸を背負っているんだから、申し訳なさそうな顔をすべき」「税金で行かせてもらっておいて、楽しいとはなにごとか」……などなど。いやあ、世の中には、気の毒な見方しかできない人がたくさんいるんですね。

 ただ、お門違いな批判が出てきたのはやれやれですが、その後の展開は、日本は意外に捨てたもんじゃないと思えるものでした。福士選手に批判が集まっていることが報じられると、ものすごい勢いで「そんなふうに批判するのはおかしい」「あのインタビューの何がいけないんだ」という批判に対する批判の声が、やはりネット上で大きく巻き起こります。「日の丸を背負っているんだから」「税金で行かせてもらっておいて」という言い方が、いかに浅はかで傲慢で的外れかについても、有名無名問わずいろんな人が説明してくれました。

「日本はダメになっている」という言い方は、とても便利で、ある意味耳障りがよくて、決まり文句のように使われています。「ネットのせいで世の中が悪くなっている」もしかり。しかし、「福士批判」とその後の「福士批判に対する批判」の盛り上がりの流れを見ていると、日本はちょっとだけマシになっているかもしれない、ネットもそんなに悪いもんじゃないかもしれない、と思えてきます。

「日の丸」を勝手に背負わせたり、「国民の期待」に応えられなかった選手をバッシングしたりするのは、ずっと昔からの日本のお家芸です。元マラソン選手でスポーツジャーナリストの増田明美さんは、1984年にロス五輪の女子マラソンを途中棄権して帰国したとき、成田空港で見知らぬ男性に指をさされて「非国民」と言われたとか。それから3ヵ月、増田さんは寮の自室に閉じこもって死ぬことばかり考えていたそうです。その男性だけでなく、マスコミも世間の風潮も、しばらくは増田さんを残酷に責め続けていました。

 1964年に東京五輪のマラソンで銅メダルを獲得してヒーローになった円谷幸吉も、国民の期待という大きなプレッシャーに耐えきれず、次のメキシコ五輪を前に自ら命を絶ちました。オリンピックでメダルを取るために婚約者と無理やり引き離すなど、その追いつめ方は尋常じゃなかったようです。詳しく知りたい方は、こちらを読んでみてください。

 オリンピックに出場した日本人選手や、あるいは出身地が同じだったり何らかの縁があったりする選手を応援するのは、とても楽しいことです。ただし大人としては、自分が楽しむために「応援させてもらっている」という感謝の気持ちは忘れたくないもの。いい結果が出れば喜び、よくない結果のときは残念に思う。もし本人や関係者と知り合いだったら慰めの言葉をかけ、お礼を述べる。応援する側にできるのは、そこまでです。

 そのあたりの認識は、20年前、30年前の日本に比べて、それなりに定着したのではないでしょうか。たとえば地元出身の選手を母校の体育館のパブリック・ビューイングで夜中に応援していて、あっさり敗退してしまったときに、「なんだよ、せっかく応援してやったのに」と文句を言う人がいたら、周囲から白い目で見られるのは確実です。面と向かって注意する人もいるでしょう。とはいえ、その場にいる選手の身内が、来てくれた人たちにひたすら頭を下げなければならない雰囲気は、まだ濃厚にあるかもしれませんが。

 福士選手の発言をめぐる騒動は、大人の分別をわきまえていない批判をすると、した側が激しく批判されるという流れになりました。金メダルの大本命だったのに銀メダルだった吉田沙保里選手が、試合後のインタビューで「ごめんなさい」と言ったことに対しても、「謝る必要なんてない」「胸を張って帰ってきてほしい」と擁護する声がほとんどです。そこに「ちょっとだけマシな日本」になった気配を感じるのは、無理があるでしょうか。

 もしかしたら、批判が起きたことを嘆いて「日本はダメになっている!」という話にしたほうが、スッキリした読後感を持ってもらえて、たくさんの共感が得られる原稿になったかもしれません。しかし、お手軽な結論で留飲を下げるのもトホホな批判をするのも、大きく分ければ似たり寄ったりの行為です。福士選手があの状況で笑顔を見せてくれた強くて美しい勇気に応える意味も込めつつ、あまり耳障りのよくない主張を書いてみました。みなさまにおかれましても、勇気を出してご納得いただけたら幸いです。

【今週の大人の教訓】
「今の世の中」や「最近の若者」を安易に批判する大人は信用しないほうがいい

文=citrus石原壮一郎