人間臭さは残酷さやドロドロを避けては描けない! ルネサンス絵画のあやしさまで味わう方法

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/13

『あやしいルネサンス』(池上英洋、深田麻里亜/東京美術)

 15世紀から16世紀ごろにイタリアで生まれたルネサンス絵画は、人間らしさや個性の解放を求めた独特な人間描写が特徴だ。人間の本質を追い求めるがゆえに、残酷さやドロドロした部分まで細かく描写している作品が多く、どう理解したらよいのか迷う絵も少なくない。そこで、ルネサンス絵画を理解するために、あやしげな作品が生まれた背景や鑑賞のポイントについて解説している本『あやしいルネサンス』(池上英洋、深田麻里亜/東京美術)を取り上げる。

あやしさは人々が抱いていた恐怖の現れ

 ルネサンス絵画の中にあやしい生き物の姿で描かれているものは、災害、病気、死、誘惑など目に見えないものばかりだ。パソコンどころかテレビもラジオもなかったこの時代、人々はときどき原因もわからない恐怖に襲われることがあった。天文や自然現象については少しずつ科学で解明され始めた時代だったが、それまで悪魔の仕業や神に背く者たちの仕業だと考えられてきた恐怖はまだまだ庶民の心の中に根強く残っていた。

 ルネサンス期に入って、画家がこぞって人の本質を描くようになると、内面に潜むものもいかに生々しく描くかということが画家の個性の見せ所になってくる。男性の心を惑わせる気持ちは悪魔や魔女の仕業で、病気や災害は悪魔の仕業、死は身体をむしばむ蛇や獣たちの仕業、そう捉えていた当時の人たちは、想像を働かせてその様子を絵に描いたのだ。

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ルネサンスが過渡期! 変化するキリスト教観

 ルネサンス絵画には宗教に関するものが多いが、神やキリストの描き方がそれまでと違っている点に注目したい。黙示録やイエス・キリストの最後の晩餐など、聖書に書かれていることを絵の題材として描いているものも多いのだが、ルネサンス期の絵画はそれまでのヨーロッパの宗教画とは、一味も二味も違うのだ。

 ルネサンス以前のキリスト教絵画は、カトリック教会からの束縛が強く、教会の権威を象徴するものだった。天も地も人もすべては神が作ったものという考えの下、神をたたえる形で描かれていたのだが、ルネサンス期に入ると様相が少しずつ変わってくる。教会からの束縛に屈せず、自分の描きたいものを描きたいように描く画家が少しずつ出てきたのだ。

 あやしいと感じるルネサンス期のキリスト教画は、キリスト教を題材にしているにもかかわらず、人間が中心に描かれ、人間臭さがにじみ出ている。ルネサンス期はそれまでのキリスト教観が変わった時代。ヨーロッパの精神自体が変わった時代だという点に注目しながら鑑賞すると、なるほどと感じるはずだ。

表情や肉体の描き方がリアル

 当時の人々にとって、最大の関心事は愛と死だった。だから、自由な描写ができるようになったルネサンス期は、愛に溺れる人や死に直面している人の表情や肉体をより人間臭く描くようになった。レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロのように、骨格や筋肉の付き方を研究して描いた画家もいたが、どちらかというと宗教の束縛から逃れて、ここまでしか描けないというリミッターが外れたことの方が大きいようだ。人を人らしく描くという意味で、それまでよりも人間らしい素の表情や、なまめかしい肉体の描写が増えている。

 芸術の秋、たまにはゆっくりと美術館で絵を鑑賞してみてはどうだろうか。ルネサンスは古代と近代のはざまに位置する時期。古い考え方から新しい考え方、古い描き方から新しい描き方への過渡期にあたるため、その両方が入り混じっている。そのことを知ったうえで鑑賞すれば、あやしさの漂うルネサンス絵画も、味わい深く感じられるだろう。

文=大石みずき