「朽ち果てるまで」その真意を知ったとき、鳥肌が止まらなくなる……!「恐怖」と「究極の恋愛」が融合した新しいホラー小説が登場

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/13

『きみといたい、朽ち果てるまで 絶望の街イタギリ』(坊木椎哉/KADOKAWA)

 第23回日本ホラー小説大賞「優秀賞」を受賞した『きみといたい、朽ち果てるまで 絶望の街イタギリ』(坊木椎哉/KADOKAWA)は、どこかつかみきれない「恐怖」と、少年と少女の「究極の恋愛」を見事に融合させた「今までにない」ホラー小説だった。

 本作は「板切町」(いたきりちょう)、通称「イタギリ」と呼ばれる架空の街を舞台にしている。イタギリは、「洗練」「清潔」「都市」といった言葉とは対極にある、雑居ビルが連なった迷路のような街。社会のレールから脱線し、世間から爪弾きにされた人々が最後に行き着く、警察の目も届かない無法地帯である。

 主人公の晴史(はるふみ)は、ごみ収集と死体運搬の仕事に従事しているイタギリで生まれ育った戸籍のない少年だ。

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 晴史は思う。「――空を見る余裕なんて、どれだけの人が持っているんだろう」。
娼婦をしていた母は、晴史が幼い時に突如いなくなった。父親はろくに働かず、酒ばかり飲んでいる。晴史には、将来の目的も学もない。どぶと糞尿と生ごみと黴の匂いが混じり合い、漂う街イタギリで日々を漫然と過ごしていた。

 そんな晴史のささやかな希望は「読書」と、「シズク」。シズクは似顔絵を描きながら、身体も売っているイタギリの少女だ。晴史はシズクに淡い恋心を抱いていた。

 ある日、イタギリで事件が起こる。「肝喰い」という、人を殺害し、死体から内臓を抜き取るという猟奇殺人者が現れたのである。イタギリの秩序を乱す「肝喰い」を捕まえようと尽力する昔馴染の月丸(つきまる)に協力する晴史は、シズクの「とある能力」を頼りに、犯人を突き止めることができないかと提案をする。

 しかし、「肝喰い」の正体を暴こうとすることが、晴史とシズク、2人の運命を大きく揺るがすことになるのだが――。

 本作を読んでいて、何度も寒気がした。イタギリという街も、そこで生活をする人々にも、主人公の仕事の一端であるがゆえに、度々登場する「死体」にも、この世の汚い物(物理的にも、精神的にも)を「これでもか!」と突きつけられるような、薄ら寒い恐怖を感じた。

 それは小説に書き込まれる描写力が凄まじく、情景をリアルに想像ができてしまうのも一因だろうが、「寒気がする恐怖」を感じるのは、そんなイタギリの街で、晴史をはじめ登場人物たちは「普通に」生きているからだ。泥沼のような世界の中で、淡々と、時に生き生きと生きている人々……腐乱した死体を処理することも、「日常生活になってしまう」この物語に、どこか空怖ろしさを感じるのだ。

 だが、そんな「恐怖」だけでは、物語としての魅力は少ないだろう。本作が「優秀賞」を受賞し世に出ることになったのは、イタギリという絶望の街で生き、凄惨なラストを迎える主人公を描いているにも関わらず、読後感が「まぶしい」からだ。

 晴史は決して清く正しい主人公ではない。イタギリでの日常が彼に与えた「一般的な感覚のズレ」や、憎しみ、怒り、悲しみを抱えている。晴史は泥沼に「染まりきっている」のかもしれない。だが、「屈してはいない」。そのラストが、晴史ですら感じてはいないだろう、「希望」を読者にもたらすのではないだろうか。

 読後感もよく、登場人物たちも一筋縄ではいかない、個性豊かな面々がそろっているところはややラノベっぽく、文学然とした小難しさがなくて読みやすい。内容は重厚で、グロテスクなものが苦手な方には向いていないかもしれないが、「キレイゴト」の世界観に飽き飽きしている読者諸君には、この凄絶なラストを体感して、鳥肌を立ててほしいと思う。

文=雨野裾