漢たちの熱き生き様! 北方謙三『大水滸伝シリーズ』を締めくくる文庫本が刊行開始

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/12

『岳飛伝(一)三霊の章』(北方謙三/集英社)

 中国・山東省の西部にある山・梁山。その麓には山東省を貫く黄河の洪水によって出来た沼沢があり、その地に作られたのが「梁山泊」だ。もともとは12世紀初頭(日本では平安時代)の北宋末期に宋江という人物によって反乱軍が指揮され、その軍が砦を作った場所であったが、『水滸伝』で108人の豪傑が集まったという物語となり、豪傑や野心家の集まる場所という意味になった。中国の長編小説の四大奇書のひとつである『水滸伝』は、元末期~明の始め頃(14世紀中頃~後半)に成立した物語といわれるが、正確な成立年代は不明だ。しかし多くの人物が登場する物語の圧倒的な面白さは、今も読む人の心をつかんで離さない。

 その物語と史実を背景とし、1999年から17年間もの年月をかけて魅力的な登場人物が織りなす新たな物語『大水滸伝シリーズ』としてまとめたのが作家の北方謙三氏だ。これまですべての作品が単行本として出版され、『水滸伝』『楊令伝』はすでに文庫化、そして今回ついにクライマックスとなる『岳飛伝』も、2016年11月から2018年にかけて全17冊の文庫として毎月連続刊行されることとなった。

 岳飛は南宋軍の将軍であり、岳飛軍の頭領である。背中には「盡忠報国」(じんちゅうほうこく……君主に忠義を尽くし、国家に報いること。『大辞林』より ※盡は尽の旧字体)の入れ墨があり、中国の歴史上で英雄とされる存在だが、最初から強かったわけではない。岳飛が初めて戦で屈辱的な敗北を喫した相手は梁山泊の頭領・楊令であった。その楊令と戦った先の梁山泊との戦では、吸毛剣によって右腕の肘から先を切り落とされ、今は武器であった強弓も引けなくなってしまった。そして岳飛は自分が腕を切り落とされる前、従者に毒剣で貫かれたことが原因で死んだ楊令のことを考え続け、あの死がなければ自分はただの負け犬として消えていたであろう、と痛切に感じているところから物語は始まる。

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 時代は梁山泊が「替天行道」の旗のもとに戦ったこと、その後新しい貿易立国を目指しながら崩壊したことははすでに昔、老兵は退役を迫られ、若い兵たちは戦のことを知らない。そんな中、対立する金と南宋の間に戦の気配が漂い、洪水によって多大な犠牲を強いられた梁山泊も息を吹き返してくる。そこには受けた傷の痛みが癒えることのない熱き漢たちの様々な思いが噴火直前のマグマのようにたぎり、溜まっていた。そして自分の国を護りたいという強烈な思いは、やがて生死をかけた戦となっていく……。

 こうした歴史をテーマとした小説は「食わず嫌い」な人が多い。登場人物の名前が覚えられない、歴史を知らないから理解できそうにない、長いから読み切る自信がない……そういった懸念があるのは百も承知の上で、とにかくまずこの『岳飛伝(一)三霊の章』を読んでもらいたい。もちろん最初は慣れない名前や出来事に苦戦するはずだ。しかしあるところから漢たちの熱き物語の世界に引き込まれ、読むスピードが上がる。すると多くの登場人物の名は自然と頭に入ってきて、懸念していた歴史は激流のごとく読者の目の前で展開するので、事前に知っておく必要はまったくなかったことに気づくだろう。どうしてもわからなければ本書には懇切丁寧な人物索引や関係する地図も掲載されているし、さらには『大水滸伝シリーズガイドブック』(北方謙三/集英社)や「大水滸伝シリーズ」のサイトなども充実しているので安心してほしい。

 また本書の最初に【『楊令伝』の岳飛について】というこれまでのあらすじのページがあるが、これは一度参考程度に頭へ入れておき、本編を100ページちょっと読んでから再読すると、「この人とあの人はそういうことがあったのか」と人物関係と物語を深く理解し、その先を楽しめることと思う。そしてこの一冊を読み終えたとき、彼らがなぜ戦ってきたのかという歴史の「過去」と、この戦いの先にいったい何があるのかの「未来」を知りたくなることだろう。過去は『水滸伝』と『楊令伝』に、そして未来は『岳飛伝』に書かれている。一気に読むのもいい。でも焦る必要はない。刊行が続く2018年まで時間をかけ、じっくりと向き合うのも楽しいだろう。そんな気持ちを受け止めてくれる、重厚で懐の深い作品だ。

文=成田全(ナリタタモツ)