普通の大学生だったレントンがサイテーなヤク中になるまで―。続編決定で盛り上がる『トレインスポッティング』のキケンな前日譚

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公開日:2017/1/21


『トレインスポッティング0 スキャグボーイズ』(アーヴィン・ウェルシュ:著、池田真紀子:訳/早川書房)

 2017年初頭で最も注目の映画ニュースといえば『トレインスポッティング』続編の公開だろう。ハードなドラッグ描写とスタイリッシュな映像感覚、そして90年代UKロックを網羅したサウンドトラックで一世を風靡した『トレインスポッティング』、その20年後を舞台にして書かれた小説を原作として、オリジナルのスタッフとキャストが集結した内容に、映画ファンは期待を膨らませている。

『T2 トレインスポッティング』と題された続編の日本公開は4月8日だが、待ちきれないファンは映画に先駆けて翻訳された『トレインスポッティング0 スキャグボーイズ』(アーヴィン・ウェルシュ:著、池田真紀子:訳/早川書房)を読んで胸の高鳴りを静めておこう。本作は『トレスポ』の数年前を描く前日譚的な長編小説だ。ファンならずとも、『トレスポ』の世界観に触れるきっかけとしておすすめである。

「スキャグ」とはヘロインの俗語である。本作の主な登場人物は主人公のレントン、そしてシック・ボーイ、スパッド、ベグビーといったファンにはお馴染みの面々であり、多くが作中でヘロイン中毒となる。1984年、21~22歳の若者だった彼らが青春時代を謳歌している、あるいは棒に振っている姿がウェルシュらしいロックな文体で綴られていく。

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『トレスポ』がブームを巻き起こしたのは、90年代のUKカルチャー隆盛期でファッションアイコン化したことも理由の一つだった。一方、『スキャグボーイズ』が反映するのは80年代、当時のマーガレット・サッチャー英国首相の政策によって失業率が過去最大を記録したスコットランドの情勢だ。冒頭、大学から休暇でエディンバラの実家に帰省していたレントンは、父親と共に労働者デモへと参加する。ほとんどピクニック気分で出発したにもかかわらず、彼らを待っていたのは警官隊による弾圧だった。当時の労働者階級が直面した閉塞感をいきなりウェルシュは突きつける。ほどなくして、鼻につくほどの文系大学生だったレントンはヘロインに手を染め、90年代以降の文学で最も有名な麻薬中毒者に変貌する。

 両親に嘆かれ、ヘロイン漬けになるために恋人と別れ、最後には犯罪にまで手を染めるレントンの青春は読者からすれば絶望的だ。しかし、当の本人は悪びれることなく刹那的な生活に没頭していく。たまには気分が落ち込んでヘロインを止めたいと思っても所詮は気紛れであり、次の瞬間には誘惑に負けている。『トレスポ』とほとんど変わらないレントンの姿が本作ではすでに確立しているのだ。

 レントンを貫くのは中流階級層に対する怒りである。船員の仕事をしていたときの上司や、リハビリ施設のカウンセラーにレントンはあからさまな侮蔑の意識を向ける。そして、彼らを嘲笑うかのように反社会的な行為へと没頭する。『スキャグボーイズ』は80年代、格差社会が進行し、未来が奪われる中で若者たちが抱いていた諦念を浮かび上がらせていく。

 それでも物語の終盤、レントンは自分が捨てた恋人のこと、そして彼女に働いたある裏切りを思い出し、悔やむ。レントンにはアバディーンの大学を卒業し、まともな職を得てエディンバラから出て行くという選択肢もあった。しかし、彼は自らそんな幸福を捨て去ってしまった。本作は前途有望で仲間内からも一目置かれていたレントンが自らの可能性に別れを告げるまでの物語だとも読める。その過程は痛々しいはずなのに、同情のしようがないほどの最低な描写が続くので複雑な感情が湧きあがる。そう、共感の余地すらも残さないほど孤独な若者の心象風景、それこそが「トレインスポッティング」と呼ばれる場所だったのだと我々は思い出す。

 なお、『トレインスポッティング』といえば緻密な音楽ネタも読みどころの一つだが、スタイル・カウンシル、ギャング・オブ・フォー、デヴィッド・ボウイなど80年代を彩ったミュージシャンたちの名曲群が憂鬱なレントンのBGMとして作品を盛り上げる。是非ともCDをかけながら読了してほしい一冊だ。

文=石塚就一