「ただ、抱きしめてほしかった――」。『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』の著者が描く最新コミックエッセイ

マンガ

更新日:2017/2/27


『一人交換日記』(永田カビ/小学館)

 前作『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』で「このマンガがすごい!2017オンナ編」の第3位に輝いた著者の新作コミックエッセイが発売された。

『一人交換日記』(永田カビ/小学館)は、その名の通り、過去と未来の「自分」に向けて、著者の永田カビ先生が「交換日記をする」というもの。前作の『さびしすぎて~』は、「レズ風俗を利用したこと」「そこに行くまでの心の葛藤」を重点的に描いていたが、今回は幅広く、著者の現状や考えていることが綴られている。

『さびしすぎて~』でも触れられていた「家族との確執」も掘り下げられていたし、初めての一人暮らしについて(親の仕送りで一人暮らしをしている人に対する嫉妬問題)や、今まで思ったこともなかったという「愛し愛されたい!」という願望について、また、『さびしすぎて~』が出版された後の、家族や周囲の反応など、盛りだくさんに詰め込まれおり、読み応えが抜群だった。

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 永田先生のコミックエッセイは、時々グサッと胸に刺さることがある。

 人によって「刺さる」部分は違うと思うが、個人的には「自分のものさしがないと、他人にどう思われているのか気になり、がんばっても自分で評価できないこと」という考察。

自分のものさしを持たない人は、自分のペースや自分のできることに応じた自分の成長に気づかず、(中略)自己評価が低くなる。

自分に生きてても許される価値があるのか不安で、でも自分のものさしが無くて測れないから、他人と自分を比べる。他人と自分を比べたところで、目に見える大きさだけ比べても、目盛り幅は人によって違うから、意味無い。

 この「自分のものさし」という表現。「確かに」と思うことがあった。著者はこの「ものさし」のことを「自己肯定感」と述べているが、私は「自分なりの評価基準」なのではないかと思う。

自分のものさしが無いから、親のものさしで測って、良い数値を出してくれるのを期待していた。 

 小さい頃は、「自分のものさし」が確立できていないため、「親のものさし」に頼らざるを得ない。幼少期に「親の言うことがなんでも正しい」と思うのは、親のものさしに完全に依存しているからだと思う。精神的に親からの自立ができていないと感じる人は、この「ものさし」がいつまでも「親のものさし」なのではないだろうか。……そんなことを考えた。

 このほか「幸せ」について。

思うんですけど、「幸せ」って要するに、「今、この世にある不幸を無いものとすること」ですよね。「そこにある不幸を認識しないこと」「不幸を想像しないこと」「見捨てること」と言ってもいいかもしれない。

「幸せ」な時とは、情報が取捨選択されて視野がすごく狭まった状態なのだ。

 という記述には、何かが胸に刺さった。

 著者のセキララな告白が詰まったこの交換日記は、いつまで続くのだろうか。何巻続いても、何度読んでも「グサッと」くる部分があるんだろうなと思うと、続刊を追っていきたい気持ちになる。

 文章にするとなんだか難しそうに感じたかもしれないが、本作は「コミックエッセイ」。絵柄もかわいいので読みやすさもあり、「愛し愛されたい!」という叫びに「ピン!」ときた方は、気軽に手に取ってみてほしい。

文=雨野裾