「誰も、愛してくれなかった」――発達障害に理解のない家族・学校、理不尽な暴力…自らの壮絶な体験を克明に描いた衝撃の「奇跡の物語」

社会

公開日:2017/2/23

『COCORA 自閉症を生きた少女 1 小学校 篇』
『COCORA 自閉症を生きた少女 2 思春期 篇』

 『COCORA 自閉症を生きた少女』(天咲心良/講談社)は自閉症スペクトラムという発達障害を抱えた著者が、自身の壮絶な半生を描いた自伝的小説である。
 自閉症スペクトラムは、「アスペルガー症候群」とも呼ばれる先天的な脳の機能障害のこと。症状は対人コミュニケーションにおける想像力の欠如、未来を予測できない、奇異に映る意味のない反復行動、身体感覚の異常、感覚過敏など、さまざまである。

 今でこそ「自閉症」「アスペルガー」という言葉は認知度が高まり、教育現場での理解も深まりつつあるが、一昔前まではあまり一般的ではなかった。著者が生きてきた環境……特に「家庭」では、まったく理解がなかった。そのため、著者は「人の気持ちが理解できない変わった子」として虐げられ、理不尽な暴力にさらされて生きてきたのだ。

 2017年1月27日に発売されたのが、小学校篇(第1巻)と思春期篇(第2巻)の2冊。
 小学校篇は生まれてから小学校を卒業するまで。思春期篇は高校に入学した直後までが描かれている。

advertisement

「自伝的小説」とはどんなもんぞや? と思っていたのだが、著者の前情報がなければ「有名な新人賞を受賞した小説」と言われても納得してしまうような筆力の高さだった。読みやすい文章で、時々ユーモアがある。加えて描写が繊細で、「たとえ」も巧い。著者のその時々の感情がよく分かる。
 エッセイやルポとは全く違うし、私は「自伝的」なんて言わず、これはもう「小説」でいいのではないかと思う。それくらい、読み物として完成度が高かった。

 肝心の「内容」だが、これはもう「叫びたいのに体全体が圧迫されて声が出ない」ような苦しくて、痛みを伴うものだった。
 家庭、学校の「理解の無さ」。これが読んでいてつらい。もちろん、障害があることを誰も知らなかったのだから、著者を「身勝手な変わった子」と認識し、理不尽に虐げてきたことを一方的に責めることはできない。だがそれにしても、身近な存在である父、母、教師の、著者への接し方はひどい。
「バカ」「グズ」「ろくでもないやつ」……これは両親や小学校教師から、子どもだった著者に幾度も投げかけられた言葉だ。どう考えても小学生を相手に口にしていい言葉だとは思えない。
 この息苦しくなるような体験が、類まれなる筆力で描写されているのは、読んでいて痛みすら覚えるほどだった。
「なぜ、自分が愛されないのか」「虐げられるのか」。著者は一つ一つ理解しようとして、考えて、けれど分からなくて、もがきながら成長していくのだ。

 本書の分量は「長編」の域に入っているが、一瞬たりとも「読むのが疲れる」とは思わなかった。「現実は小説よりも奇なり」と言うが、本当に「創作」は「事実」に勝てないのではないかと思ってしまうほど、様々なことが起こる。
 小学校篇のラストは「小学校卒業と共に、著者が留学をする」という急展開で終わる。
 次の思春期篇、こちらのラストは小学校篇を超える衝撃で終わった。頭をガーンと殴られたような気分だった。

 本書の読み方に正解はない。自閉症スペクトラムの当事者や、その家族が読むことが「一番」なのかもしれないが、特に関係がなく興味もなかったという方が読んでも、心に刺さるものがあるだろう。著者の「考察」や「感情」は、常に奇異なものではなく、「私も同じ気持ちになったことがあるなぁ……」と感じる時があるのだ。これはきっと私だけではなく、それに、著者と同じ障害を持っている方だけではなく、誰しも感じる「共感」なのではないだろうか。

「普通じゃない」「人の気持ちが理解できない」と言われ続けた著者が、本書では誰も表現できなかった「普遍的な共感」を生み出している。これは、とても「奇跡的なこと」のように思える。正直、読むのに精神的な体力のいる作品だが、引き込まれる何かが、この作品にあるのだ。

文=雨野裾