江戸時代にはソープもゲイバーも大人の淫具もあった! 学校では教えられない18禁「性の日本史」

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公開日:2017/2/25

 日本史は得意だろうか? 試験のために覚えた語呂合わせなどとうに忘れた。人名やら政策やら小難しい話に興味が持てない。そんな大人のために『教科書が教えてくれない18禁の日本史』(下川耿史/宝島社)は先人たちのふしだらなエピソードを集めた性の日本史だ。

 本書の中でもっとも頁が割かれている江戸時代は、天下泰平の世が続き性の文化が隆盛を極めた時代だ。幕府公認のソープ街遊郭吉原や春画が流行し、Amazonもびっくりの飛脚便の淫具屋、ホストクラブ兼ゲイバーの陰間茶屋、厳格な寺までもスキャンダルの舞台となって、町人も坊主も女中も奔放に性を謳歌していたという。この江戸時代の頂点に君臨した将軍たちのエピソードを紹介しよう。

お家断絶の危機! 将軍は男色家

 三代将軍家光は13歳にして数十人の小姓(主人の身の回りの世話をする少年)を抱えた男色家で、性愛をもって家臣たちとの主従関係を強めたという。

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 女性には全く興味を示さず、正室を大奥から追い出して男色に溺れ続ける家光に何とか子作りをさせようと乳母であった春日局は四苦八苦。少年のような体形の女性に男装させたことが功を奏し、家光は38歳にしてようやく世継ぎに恵まれた。

徳川財政を圧迫した絶倫将軍

 歴代将軍の中で一番長く在位した十一代将軍家斉は69歳で亡くなるまで熱心に幕政の実権を握ったが、その旺盛すぎる性欲は国を傾けたと言われている。

 家斉は将軍の座についてから50年間で正室と16人の側室たちとの間に53人もの子をもうけ、大奥の維持には年間で20万両(200億円相当)という幕府財政の4分の1が充てられた。その精力の秘密はオスのオットセイの性器から作られた海狗腎という生薬だったという。この精力剤を入手するだけでも相当財政を圧迫していたことだろう。

これでも約270年続いた泰平の世

 多くのエロエリートを輩出した徳川家。ちなみに初代将軍家康は後家好みだったそうだが、晩年ロリコンに目覚め48歳で14歳の側室を迎えてから次々に10代前半の少女に手を付け、末の子の誕生は65歳の時であった。「生類憐みの令」で有名な五代将軍綱吉は両刀遣いで、大奥だけでは飽き足らず、城内に150人の美男を囲って、その名も「後門の宮」という男の園を作ったという。性的にお盛んな殿様たちは政のほうも精力的であったようだ。

 著者は風俗研究家として近代の日本が性に対して狭量であることを憂い、本書を編むことでエロ文化への関心の幅が拡がることを信じていると述べている。

 本書には先人たちの教訓めいたセックススキャンダルあり、ユーモアあふれる性の営みあり、なかなか頭に入ってこない日本史もエロの視点から覗き見ることで興味が湧いてくる一冊だ。また裏表紙の春画は一見すると睦み合う男女のようだが、実は男同士! 戦国武将や新選組など衆道や男色の逸話も満載なので、腐女子の嗜みとしてもぜひ手にとってみてほしい。

文=鋼 みね