キャプテンコラム第19回 「宮沢賢治と紐のついたシャープペンシル」
更新日:2012/4/4
ダ・ヴィンチ電子ナビ キャプテン:横里 隆 |
ぼくはいつも首からボールペンをぶら下げています。
それは何かメモする必要が生じたとき、「あれ? 書くものがないよ」とあわてないためにそうしているだけなのですが、じつはかつて宮沢賢治も紐のついたシャープペンシルを首から吊るして歩きまわっていたそうなのです。敬愛してやまない賢治を真似てそうしていたわけではありませんが、とてもうれしいシンクロでした。でも、なぜ彼はそうしていたのでしょう。
賢治はそのシャープペンシルを用いて、目にした事象を次から次に書き写していったそうです。それは「秒刻体」という文体に繋がるものだと言われています。「秒刻体」とは、一瞬一瞬起こることをそのまま秒刻みのように細やかに、かつ客観的に描写する文体のこと。賢治は19世紀のドイツの詩人、アルノー・ホルツの詩の文体(=秒刻体)に影響を受けたとも言われています。
そんなホルツの詩の一部を二編紹介します。
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外は砂丘。
ぽつねんと一軒の家。
単調に窓を打つ雨。
私の背後でチクタクと時計がひとつ。
私は額を窓ガラスにあてる。
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部屋の中はもう明るくなっていた。
ドアの横の白い陶器ストーブの
真鍮の扉がかすかに光っていた。
戸外では雀が囀り始めた。
港の方から汽笛がぼおっと鳴った。
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というように「秒刻体」は、世界の有り様(広がり)を、まるでそこに居ながら言葉で切り取っていくような表現方法です。現在では当たり前になっている文体ですが、当時としては新しい手法でした。
それはまさに、世界を言葉で解体して、微分して、再構成していくものだったのでしょう。
賢治も同様に、秒刻体を用いて世界をばらばらにして、組み直していったのではないでしょうか。そうして生まれた世界がイーハトーブであり、イーハトーブの“風景”だったと思うのです。
ここで、少し考えます。今、目の前に刻一刻と展開される世界をそのままに描写し、再構成していくとしたら、ネットメディアが最適ではないかと。
もし、賢治が今の時代に生きていたら、ツイッターやブログを用いて、そこにイーハトーブの世界を築いたかもしれません。(いやいや、それでも賢治は紙の本での表現を愛したに違いないよ、という声も多々聞こえてきますが)
そう思うと、ぼくたちはケータイやPCをとおしてアクセスする電脳空間に、ぼくたちなりのイーハトーブを作り出そうとしているのかもしれません。
賢治が作り出したイーハトーブは幾度も自然災害にさらされてきました。『グスコーブドリの伝記』では、寒波と飢饉から人々を救うため、ブドリは自らの命を犠牲にし、火山を人工的に噴火させる作業におもむきます。
ブドリを止める人たちに対して彼が答える言葉に震えます。
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「私のようなものは、これからたくさんできます。私よりもっともっとなんでもできる人が、私よりもっと立派にもっと美しく、仕事をしたり笑ったりして行くのですから。」
(『グスコーブドリの伝記』宮沢賢治 より)
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吉本隆明さんは、賢治のユートピア理念について次のように書かれています。
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「グスコーブドリの伝記」にあらわれたかれのユートピア理念のひとつは、自然は人工的に作れること、
さらにいえば自然よりも優れた自然が人工的に造成されうるということだった。
(中略)
だが宮沢賢治にはもうひとつまったく異質なユートピア理念があった。善い行いはその極限で、人間の身体を粉末にし、いわば〈察知の気体〉に化することができ、この気体は瞬時に時間や空間の制約を超えて他者の〈察知〉に感応できるという理念だった。
(「ハイ・イメージ論Ⅰ」吉本隆明 より ――『人工都市論』ちくま学芸文庫所収)
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吉本さんの言う、「瞬時に時間や空間を超えて他者に感応できる」ということもまた、ネットの持つ機能に通じます。
宮沢賢治は、その首にぶら下げたシャープペンシルで、美しくて、残酷で、悲しみに満ちたこの世界をイーハトーブに託して描き出しました。
そして、その悲しみを打破し得る、人々の善意の拡散を切望したのでしょう。
やがて時は過ぎ、21世紀に生きるぼくたちは、賢治の理念を実現するための武器を持ちました。
今ぼくたちは、賢治の“紐のついたシャープペンシル”を、“誰にでも繋がる目に見えない糸のついたスマートフォン”に持ち替えて、めまぐるしく移り変わる景色に決して惑わされず、目の前の世界の一瞬一瞬を解析し、ジョバンニの誓った「ほんとうのさいわい」を求めて歩んで行けると思うのです。
(第19回・了)
今回もまた、つたない文章を最後まで読んでくださってありがとうございました。どうかあなたが、日々あたたかな気持ちで過ごされますよう。
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