キャプテンコラム第6回 「海、隔てながらつなぐもの」

更新日:2011/10/17

ダ・ヴィン電子ナビ キャプテン:横里 隆

ぼくたち電子ナビ編集部は学生時代の部活動のようなところがあります。
だから編集長じゃなくてキャプテンなのです。
そしてネットの海を渡る船長という意味も込めて。
みんなの航海の小さな羅針盤になれたらいいなと。
電子書籍のこと、紙の本のこと、ふらふらと風まかせにお話ししていきます。

advertisement
 「ネットの海は広大だわ」という名言を残したのは草薙素子でした。
 (映画『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』より)

 言わずと知れたことですが、インターネットおよびネット社会は”海”にたとえられることが多いものです。いわく、WEBしかり、ネットサーフィンしかり。そしてこのコラムのタイトルがキャプテン(船長)コラムなのも同様です。

 そこで今回は、海について考えてみたいと思います。


 紀元前の遥か昔、アジアの海域には巨大な海洋文化圏があったといいます。(参考文献:『海のアジア』シリーズ、全6巻、岩波書店)
 その版図(はんと)は、インド近海からインドネシア、ミクロネシアの島々、フィリピン、台湾、そして日本にまで至る広大なものでした。高度な航海技術を持ち、アジアの島々をネットワークしてひとつの共同体のようなものを形成していたのです。
 正しくは共同体というより文化圏といった方が適切なのでしょうが、あえて”国”のような共同体としてとらえたいのです。
 というのも”国”というものが陸地ばかりを基準に規定されがちだからです。世界史の授業を思い出せばわかると思いますが、ペルシャ帝国、ローマ帝国、秦の帝国、ヒトラーのドイツなどなど、その強大さを表すものは支配した領土(陸地)の広さでした。かように人類の歴史は”陸の視点”に偏って語られてきたのです。
 でも”海の視点”で見たとき、そこには、授業では教えてくれなかった巨大な共同体がアジアの海域に見えてきます。それを陸の国家に対抗して、あえて海の国家(共同体)と言ってしまいたいのです。

 その海の国家には、ぼくたちにとってはあって当たり前のものの多くが存在しませんでした。
 まず、文字がなかったといいます。言葉はあったけれど文字はなく、情報は口伝で伝えられるのみであったと。ゆえに書物や記録という形で国家が存在したことの痕跡が残されておらず、歴史の表舞台に出てこなかったのです。ただ、文字がなかったということは、それが必要なかったとも言えます。情報や知識を文字というカタチで保管・伝達することは人類の発展に大きく寄与してきましたが、もっとも役立つのは、争いごとや病気などの困難な状況を打開するための手助けになるということです。その文字がなかったということは、それ程に平和で豊かな国だったと言えるのかもしれません。
 版図の多くが海であるがゆえに明確な国境もありませんでした。ということは国境をめぐるせめぎ合いも少なかったということでしょう。
 そして、首都や中心地もなく、すべてを統べる王や大統領と呼ばれる存在もいませんでした。人々や島々が、フラットにつながっていたのでしょう。

 まるでぼくたちが知っている国家というものの概念とは異なっています。それら特異な共同体が成立し得たのは、やはり海の存在が大きかったと考えられます。
 海が”壁”となって陸の国家の侵略から人々を守り、一方で、その海が”道”となって陸の国々との交易や交流をも行ってきました。
 すなわち海は”隔て”ながら”つなぐ”機能を果たしてきたのです。
 隔てることとつなぐこと、この相反するふたつの機能が同時に果たされてきたことが重要なのです。
 それは外敵から身を守るだけでなく、内側の島々を隔てながらつなぐ役割も果たしてきました。海が、島ごとに存在する異なる民族、文化、宗教、価値観を緩やかに結びつけ、互いに過干渉せずにすむ適度な距離を維持してきたのです。そうして、さまざまな違いを寛容に受け入れることを可能にし、尊重し合いながら営まれる巨大な共同体が実現しました。そのように形成された緩やかなネットワーク共同体が、海の国家だったのです。
 それは、陸の国家が標榜するような覇権主義(他国や他民族を侵略し領土を広げていくもの)ではなく、互いを生かして栄える共生主義を実現したものと言えるかもしれません。

 しかし、海によってつながるネットワーク国家は緩やかな結びつきで形成されているに過ぎないため、強固な政府や軍隊を持っておらず、常に陸の権力者たちの脅威にさらされてきました。
 時を経て、大航海時代に突入すると、海の覇権をめぐって西洋の列強諸国が世界中に進出し、アジアの島々にも西側の文化、技術、宗教を大量に持ち込みました。その禍根が現代に至るまでつづく民族・宗教紛争の火種になっていたりするのです。
 その最たる例がインドネシア・マルク諸島の宗教紛争です。1999年に勃発したキリスト教徒とイスラム教徒の宗教抗争は、5000人以上の死者と50万人以上の避難民を生み出しました。かつてこの地域はウォーレシアと呼ばれ、楽園のように思われていた場所でした。島ごとに生物相も民族も言語も生活習慣も異なり、多様な文化が自然な統一感を保って共存していました。そこに帝国主義の植民地統治が始まり、外から新たな宗教が入り、人々の価値観を変え、後に軍隊を備えた強力な近代国家が成立するに至ってついに伝統的な社会を破壊してしまったのです。

 かつてアジアに存在したといわれる海の共同体は、こうして跡形もなく消えてしまいました。でも、ときおりその存在の痕跡を示す遺物が発見され、物議を醸し出すことがあります。
 北海道の遺跡から奄美大島以南の貝製腕輪が発見されたり、伊豆七島では産出されない黒曜石が発見されたり。本来なら存在しないはずのものがアジアではたびたび発見されることがあるのです。これらは、海の共同体の名残りなのかもしれません。

 長々と海の話をしましたが、今ぼくたちの目の前に広がっているネット社会は、この、海の共同体と似ていると思うのです。
 そして、陸の覇権主義と、海の共生主義。その違いで世の中のさまざまな事象を見てみると、あらためて見えてくるものが多々あります。
 陸の視点から、海の視点へ。数百年、数千年越しのパラダイムチェンジが今まさに起こっているのではないでしょうか。

 海の見る夢が広がっています。それはきっと人種の違いも、宗教の違いも、貧富の格差も、ぜんぶ超えて受け止めてくれるような、楽園の夢だと信じたいものです。

 さあ、楽園を目指して航海に乗り出しましょう。

(了)
 
 
※キャプテンコラムは基本、毎週月曜日の12:00に更新します。次回、キャプテンコラム第7回は月曜日が祝日のため7月19日(火)の12:00にアップする予定です。よろしければぜひまたお越しください。今回もまた、つたない文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。どうかあなたが、日々あたたかな気持ちで過ごされますよう。

よこさと・たかし●1965年愛知県豊川市生まれ。信州大学卒。1988年リクルート入社。94年のダ・ヴィンチ創刊からひたすらダ・ヴィンチ一筋! 2011年3月末で本誌編集長をバトンタッチし、電子部のキャプテンに。いざ、新たな航海へ!

第1回 「やさしい時代に生まれて〈その①〉」
第2回 「やさしい時代に生まれて〈その②〉/やさしい時代における電子書籍とは?」
第3回 「泡とネットとアミノメの世界の中で」
第4回 「電子書籍の自費出版が100万部突破!〈その①〉/メリットとデメリット」
第5回 「電子書籍の自費出版が100万部突破!〈その②〉/出版界の反撃」
第6回 「海、隔てながらつなぐもの」
第7回 「ITユーザー(あなた)は電子書籍の行間を読むか?〈その①〉」
第8回 「ITユーザー(あなた)は電子書籍の行間を読むか?〈その②〉」
第9回 「もしもエジソンが電子書籍を作ったら?〈その①〉」
第10回 「もしもエジソンが電子書籍を作ったら?〈その②〉」
第11回 「大きい100万部と小さい100万部」
第12回 「ぼくがクラシックバレエを習いつづけているわけ」