キャプテンコラム第7回 「ITユーザー(あなた)は電子書籍の行間を読むか?〈その①〉」
更新日:2011/10/17
ダ・ヴィン電子ナビ キャプテン:横里 隆 advertisement |
今回のテーマは、「ITユーザーは電子書籍の行間を読むか?」です。
これは『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(フィリップ・K・ディック/著、ハヤカワ文庫)という傑作SF小説のタイトルをもじったものですが、この作品のことはご存知でしょうか? 知らなかったり、読んだことがないという人でも、映画のほうは観たことがあるのでは? そう、かの有名な映画『ブレードランナー』の原作小説なのです。 小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』と映画『ブレードランナー』は展開もラストも微妙に異なるがゆえに「別物だ!」と言われることもあるようですが、当然ながら主題は共通しています。 人間とアンドロイドとの境界が揺らぐことで、「人間とは何か?」、「生命とは何か?」といった深い問いが読む者(観る者)に突きつけられる点です。 同様の主題は、遥か昔からの哲学的テーマでもありますし、最近ベストセラーになった『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一、講談社新書)などでも取り上げられていますから、普遍的で今も古びないテーマといえます。 物語は近未来のディストピアを舞台にしています。最終核戦争後、死の灰に覆われ環境が劣悪化した世界で、主人公のリック・デッカードは人間のふりをしたアンドロイド「レプリカント」を狩る賞金稼ぎの仕事をしています。高度な科学技術によって生み出されたレプリカントは見た目も人間そっくりで、高い知能も感情も持っています。ゆえに見分けるのがとても難しいのですが、唯一の違いが「感情移入」なのです。デッカードは特殊な質疑応答テストで相手の「感情移入度」を試し、レプリカントを見つけ出していきます。 おもしろいのは、「感情のあるなし」ではなく、「感情移入の深さ浅さ」を判別法に用いている点です。進化したレプリカントは人間が持っているような感情をも既に持ち得ていますが、過去の経験・体験が希薄なために感情移入がうまくできないのです。 さて、ここからが本題になります。 たとえ知能や感情を持っていても、経験や体験がなければ感情移入ができないというのはどういうことでしょう? ここでいう経験や体験は、失敗して落ち込んだり、うまくできてほめられたりと、マイナスであろうとプラスであろうと感情のさざ波を大きく揺さぶる経験や体験を指します。 ぼくたちが生きていくうえで繰り返し受け止めていく、たくさんの「傷」や「痛み」や「喜び」や「快感」が、気持ちの働きにバイアス(偏り)を生み出し、何かに過剰に思い入れをしたり、固執したり、依存したりと、ぼくたちのカタチを創っていくのだと思います。そうした固有のカタチを持つことで、固有の感情移入ができるようになっていくのでしょう。 そしてふと思うのです。だからこそぼくたちは本を読むことができる、いえ、本の行間を読むことができるのだと。 言い換えれば、レプリカントは、本を読むことで知識を得たり、感情的な思いをある程度喚起したりはできても、深く感情移入することはできず、ゆえに行間を読むことはできないだろうと思うのです。 では「行間を読む」とはいったいどういうことでしょうか? 以前、別のところでも書いたことがあるエピソードで恐縮ですが、「行間を読むとはどういうことか」を教えてもらった、ぼくの体験をお話しします。 もう20年以上も前のことです。社会人になって間もない頃、当時のぼくが所属していた総務部(リクルート・総務部)の勉強会のため、クレバーかつ読書家で有名だった他部署の上司、横山清和氏(当時、リクルート・ワークデザイン研究室室長)のところに「本」というテーマで話を聞きに行ったときのことです。 そのインタビューに際して、前もって横山氏が薦めてくれたのは、『オルテガ』(色摩力夫、中公新書)という本でした。スペインの哲学者、ホセ・オルテガ・イ・ガセトについて書かれた本で、内容は難解でしたがそれなりに興味深く読むことができました。 本の感想を交えつつインタビューをはじめたのですが、ぼくの理解が浅かったのでしょう。次のように問われたのです。 「行間を読むとはどういうことだと思うか?」と。 ぼくは答えに詰まりました。 「気をつけなければいけない。私たちは、本を読むのではなく、本に読まされてしまうことがよくある」と横山氏はつづけました。 「魅力的で流れるように読める本であればあるほど、本に読まされてしまう危険性が高い。しかし、それは文章の表層を受け止めているに過ぎない。そうではなく、読みながら何度も立ち止まり、なぜそこで立ち止まったのかを考えることが大切だ。すると自分の中の何かが、そこに記された言葉や文章に引っ掛かって立ち止まったのだと気づくだろう。それはいったい何なのか? そう思考することで自分というものが浮き上がってくる。自分自身に気づくこと。それが本を読むということであり、行間を読むということだ」と。 その言葉は心の深いところに沁みこんで、以来ずっと、ぼくが本を読むときの姿勢になりました。 (第8回につづく) *****************************************************
■第1回 「やさしい時代に生まれて〈その①〉」 |
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