“早稲女”は本当にモテないのか?

暮らし

公開日:2012/8/5

 『早稲女、女、男』という小説が刊行され、話題を呼んでいる。

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 早稲女=ワセジョとは、早稲田大学に通う女子学生のこと。ネットで検索すると、その特徴は「男勝り」「女子らしさがない」「お洒落に無頓着」「自意識過剰」などと挙げられている。実際に早稲田大学を卒業した女性(28歳)に話を聞くと、「早稲田に行ってると話すと、女子力が低そうだとかモテない女として残念な扱いを受けることも多かった。友だちのなかには『合コンで“迫害”される』とまで涙ながらに語る子もいたくらい」と、そのワセジョ差別(!?)の実態を明かした。

 この『早稲女、女、男』でも、ワセジョは散々な扱われ方をする。主人公は、就職を控えた早稲田の4年生である早乙女香夏子。その香夏子を、日本女子大、慶應大、立教大、学習院、青学などといった他大学の女子たちの目線から語った連作小説なのだが、彼女たちにとってワセジョ・香夏子は、「年中デニムにすっぴん」「いつも男子と喧嘩してばかり」「自虐トークには辟易」「面倒臭い」「ゴムつけるの拒否ったら、説教されそう」と、ネット上と同様に残念のレッテルを貼られっぱなしだ。

 なかには、「昔から“裸の大将”みたいで……。もうランニング姿でおむすび食ってろよって感じ」という、まさかの山下清(≒芦屋雁之助)との類似性まで指摘される有り様。しかし、早稲田出身の作家・角田光代も、穂村弘との恋愛エッセイ集『異性』で、「先に、私はもてたいという野心を見抜かれたことが、今現在にも尾を引いている、と書いた。それって具体的にどういうことかというと、初デートにランニングを着ていってしまうようなところが、私にはあるのだ」と書いている。“ワセジョ=山下清”ではなく、画伯ファッションであえてデートに行ってしまう、こじれた自意識の持ち主と捉えるべきなのかもしれない。

 小説内でも、この不毛ともいえる“いじらしさ”を羨む声が多く登場。「一見モテない風なくせに、変に母性を発揮して男を搦め捕る」「男の目など気にかけない自由奔放さ」「雑学やアイデアが豊富で、美味しいところをかっさらう」「やっぱり、早稲女、いや香夏子は格好いい」などなど、周囲の女たちはワセジョにあこがれたり、ときに嫉妬したりと、羨望の眼差しを向けている。

 不器用だけど一生懸命。まわりに流されない確固たる自分らしさ。文化への造詣の深さ……。小説内の香夏子は、なかなかにチャーミングで、ある意味、モテ女でもあるのだ。

 「ワセジョ好き」を公言していることでも有名なジャーナリストの津田大介は、この小説の帯文で、ボーヴォワールの名言をもじって“ワセジョの魅力”をこんなふうに解説している。

 「真面目で、一本気で、不器用な女子たちは、早稲田大学という特殊な環境で社会の不条理と向きあい、その魂は高潔になっていく。————人はワセジョに生まれるのではない、ワセジョになるのだ。」

 たしかに『早稲女、女、男』を読むと、世で謳われるモテ女とは方向性が違うながらも、ワセジョが抱え持つ不思議な引力に気付かされる。男に媚びた女子力よりも、媚びない自意識をフル回転させて“ワセジョ力”を高めるのも、実はモテへの一歩になるかもしれない。