デビュー2年で早逝した作家・伊藤計劃の絶筆が異例の大ヒット

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/26

 作家・伊藤計劃が34歳の若さでこの世を去ってから3年。その絶筆『屍者の帝国』(伊藤計劃、円城 塔/河出書房新社)がよみがえり、本格派SF小説としては異例の大ヒットとなっている。

伊藤は、2007年『虐殺器官』(早川書房)でSF界に彗星のごとくあらわれ、世界標準の大型新人として注目を集めた。08年にはゲームのノベライズ『METAL GEAR SOLID GUNS OF THE PATRIOTS』(角川グループパブリッシング)、そして傑作と誉れ高い『ハーモニー』(早川書房)を発表。しかし、残念ながら09年3月に肺がんで逝去する。20代でがんが見つかった伊藤は、作家デビューしてからも入退院を繰り返し、病室のベッドで執筆することもあったという。

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その伊藤が亡くなる直前まで病床で執筆に取り組んでいたのが、この『屍者の帝国』なのだ。完成することなく残された原稿は、400字詰めの原稿用紙30枚と、2枚のA4用紙に書かれたアイデア書きのみ。それを書き継ぎ完成させたのは、芥川賞作家の円城塔だ。

伊藤と円城の出会いは、『虐殺器官』が小松左京賞の最終選考に残ったときにさかのぼる。2人の出会いを、伊藤はあるインタビューでこんなふうに語っている。
「最終選考で落ちる前に、円城塔さんがmixi内で私を見つけてくださいまして、マイミクシィ(友人)になっていただいたんです。(中略)円城さんに「私は早川さんに原稿を送ってみたんですが、伊藤さんもどうですか」と言っていただき、そうか、そういうやり方(投稿)があったのか、と。目から鱗が落ちる思いでした」

その後2人は同時期に作家デビューを果たし、親交を深めていった。2人と交流があった書評家・大森望の言葉を借りれば、「同じヴィジョンを共有する”盟友”とも呼ぶべき関係」だったのだ。

伊藤の最後の入院時も足繁く見舞いに通い、『屍者の帝国』の構想を練り続けていた病床の伊藤に「ディテールで調べられることがあったら調べるよ」と話していた円城。伊藤の遺稿を読んだ際も一言、「これは……やるしかないですね」と漏らしたという。

物語は、死者を復活させ、労働力として使用するフランケンシュタイン技術が発達した19世紀末の世界を舞台に、イギリス政府の諜報機関にスカウトされた主人公ワトソン(あの『シャーロック・ホームズ』に登場するワトソンである)が指令をうけてアフガニスタンへ旅発つところから始まる。伊藤が執筆した原稿はこの冒頭、ワトソン君が指令を受けるところまでで、その後を円城塔が3年4か月をかけて完成させた。

たった30枚の原稿から長編を書き継ぐという、途方もない作業。それは、小説の内容と同様に伊藤計劃という「“死者を働かせ続ける”作業」(本書特設サイト内「あとがきに代えて」より)だ。本書のインタビューで円城は、「死者が動いてる話じゃなければ、やらなかったです。(中略)冗談の中の雰囲気で、中編ぐらいのボリュームで、死者が動く話。それで、当人は死んでしまう。“ええっ、(自分が)動かさないといけないのでは”と(笑い)。それが一番ですよ」と答えている。この言葉に深刻さはまったく感じられないが、完成した『屍者の帝国』を読んだ読者は、その“冗談じゃない”クオリティの高さに驚くこととなる。

この物語は、ワトソンが若い頃軍医としてアフガンへ行ったというホームズの設定を屍者技術が発達した世界に置き換えた“歴史改変”もの。そのなかに、『カラマーゾフの兄弟』『風と共に去りぬ』、伊藤が好んだという『007』、さらにはナイチンゲール、ユリシーズ・グラント(18代アメリカ大統領)、川路利良(初代日本警視総監)、楠本イネ(シーボルトの娘で明治期の医師)など、19世紀末の実在・非実在の人物たちが怒涛のように登場。引用とオマージュに彩られた、エンタテインメント巨編だ。また、円城の文体は伊藤のものとは違えど、物語が進むにつれ「命」「意識」「言葉」といったテーマへと収束していくストーリーテリングは、まさしく伊藤計劃そのもの。とくに物語のエピローグは、作中の語り部の言葉を借りて、伊藤へのメッセージともとれる文章で括られているのだが、2人のファンなら、いや、ファンならずとも感涙必至だろう。

2年にも満たない短すぎる作家生活だったが、作家デビュー前の04年伊藤は自身のブログにこんなことを綴っていた。「自分が結婚もしておらず子供もなく、この世に自分が生きてきたなにかしらの形や想いが遺らないことの恐怖」。命の有限を自覚した伊藤が遺したかった想い。“死者が動く”という伊藤が仕掛けた悪ふざけを、「追悼というわけではなく、悪ふざけは続けようと」考えたという円城の想い。

日本SF界を背負って立つ作家として期待された2人の力による、渾身の一作。この作品が、ひとりでも多くの人に届くことを願ってやまない。