『ALWAYS三丁目の夕日』は幻想? 本当は怖い昭和30年代

社会

更新日:2012/10/12

 「人と人の絆が深く、あたたかい人情に溢れていた」「貧しくても、夢や希望に満ち溢れていた」「みんな、目がキラキラしていた」。……このように“日本の美しき時代”としてなにかと回顧される昭和30年代。当時の商店街を再現したテーマパークや、映画『ALWAYS三丁目の夕日』のヒットもあり、リアルタイム経験者である高齢者や中年層のみならず、若者のあいだでも昭和30年代は「世知辛い現在とは違って、輝かしい日本の良い時代」として憧れる人が多いようだ。しかし! そんな夕焼けを家族で肩を組んで眺めるような光景は幻想にすぎず、じつは身の毛もよだつほどに昭和30年代はめちゃくちゃ怖かったという事実をご存じだろうか?

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 『本当は怖い昭和30年代~ALWAYS地獄の三丁目~』(鉄人社)は、その昭和30年代の恐ろしいエピソードを集めたもの。表紙には「暴力とカネが全て」「日本の暗黒時代へようこそ」というおどろおどろしい言葉が躍るが、中身はもっと衝撃! 格差社会が叫ばれる現在だが、昭和30年代は「国民の大部分が貧困状態の超格差社会」で、ラジオや新聞の報道は検閲されていたため、その実態すら国民は知らなかったという。また、うつ病患者が急増し、病んだ社会と呼ばれるいまと比べても、女性の自殺者は昭和30年代のほうが圧倒的に多く、「絶望する人たちを置いてけぼりにしていた」と書かれている。凶悪な少年犯罪も多発していて、「未成年者の殺人は今の4倍以上、レイプ犯は驚きの40倍以上、親殺しも20倍以上」と驚きの数字が並ぶ。

 また、昭和30年代といえば建設ラッシュに沸いた時代だが、たとえば黒部ダム建設時には171人もの作業員が殉職。『工費1億円に付き1人の殉職者が出ても仕方が無い』と言われ、「現場での安全は自己責任という考えが大勢を占めていた」という。また、コストカットによって死者約450名を出した炭鉱の爆発事故でも企業の責任者は不起訴。人の命は、とてつもなく軽かったようだ。

 さらに、『ALWAYS三丁目の夕日』に描かれたような人との絆に関しても、到底憧れは抱けない話題が次々と登場。近所との付き合いが密接な分、洗濯機を買っただけで“怠け者”扱いされるほどで「プライバシーがない相互監視社会」状態だったそう。町にはドブ川の悪臭が立ち込め、“水たまりにはどこからか流れてきた注射器も転がっていた”らしく、ノスタルジックには程遠い荒みようだったと思われる。

 このほかにも、「日本人の40%は寄生虫に感染」「総理大臣がヤクザを手下に使っていた」「無茶な学校行事で生徒が大勢死んだ」「チビッコたちがもれなくナイフを持ち歩いていた」「飛行機の墜落率は現在の10倍以上」「女子中学生による“援交”は野放し」と、げに恐ろしい話が満載。「あのころはよかった」と振り返り懐かしむのは勝手だが、現在を嘆くよりも未来を考えることのほうがやはり建設的……と思い知らされる1冊だ。