全米震撼のニンジャ小説は“日本人も知らない日本語”だらけ!

公開日:2012/10/14

 全米を震撼させている(といわれる)あのサイバーパンクニンジャ小説が、とうとう9月29日、日本に上陸した。それが、『ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上』(ブラッドレー・ボンド、フィリップ・N・モーゼズ:著/エンターブレイン)だ。黒船来航以来の衝撃(?)が日本を襲ったといわれるほどの超問題作。いったいぜんたいどういう作品なのだろうか。

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 そもそも原作はブラッドレー・ボンドとフィリップ・N・モーゼズというアメリカ在住の2人で、彼らの書く「間違った日本観」で展開するSF小説のファンとなった人々が日本語翻訳チームを結成。twitter上でリアルタイム翻訳連載を開始したところ、またたくまに話題となり、今や1万6000人以上の人がフォローしているという状況だ。

 作品は、世界全土を電子ネットワークが覆いつくし、サイバネティック技術が普遍化した未来の日本が舞台。ニンジャに妻子を殺されたことで復讐に目覚めた、ニンジャを殺す者「ニンジャスレイヤー」の戦いを描いている。しかし、これほど多くの人を熱狂させているのは、斬新な世界観でも豊穣なストーリーでもなく、作中で怒濤のように繰り広げられる「間違った日本観」と「非常にキテレツな日本語」だろう。

 たとえば、作中でキモになっているニンジャ同士の戦い。両者がにらみあい、緊迫した空気がただようなか、どんな言葉が発せられるのか期待して見てみると、「ドーモ、ミニットマン=サン。ニンジャスレイヤーです」「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン。ミニットマンです」と普通に挨拶しあうのである。「おのれ、妻子の敵!」とか「よくも仲間を殺ってくれたな!」とかではなく、とりあえず挨拶する。非常に礼儀正しくて結構なことなのだが、違う、なにかが間違っている感全開なのである。

 挨拶のタイミングが独特すぎてスルーしていたが、登場人物が名前を呼ぶときは必ず「~=サン」とつける。おそらく、ミスターやミセスの代わりに使っていると思われるのだが、これも間違っている感がすごい。

 また、主人公のニンジャスレイヤーことフジキド・ケンジが、ニンジャ同士の抗争に巻き込まれ、妻子を失った場所。いわば因縁の場所ともいうべきところなのだが、そこの名前が「マルノウチ・スゴイタカイビル」である。すごく高いビルなんだろうなということはヒシヒシと伝わってくるのだが、いくらなんでもストレートすぎる。「高層ビル」という言葉や発想は出てこなかったのだろうか。

 ニンジャスレイヤーを執拗に追う敵の組織。その名前はなんと、「ソウカイヤ」。たしかに総会屋は悪い。悪の組織といってもいいのかもしれない。だけど、わざわざ敵の組織につける名前ではないし、そもそも総会屋にニンジャはいない、いてたまるものか。

 作中で「カチグミ・サラリマン」と呼ばれる人々が日常的に使う挨拶の言葉「ユウジョウ!」。もはやどこからツッコメばいいのかわからない。とりあえず言えるのは、“友情”はそんなふうに使う言葉ではないということだろう。

 ニンジャスレイヤーの決め台詞は「ハイクを詠め!」である。どうやら作中では、ニンジャが死を悟るとハイクを詠むという作法があるらしい。たしかに、過去の日本では、侍が切腹する際や、その死に際に「辞世の句」を詠むという習慣があるにはあったが……いや、やはり間違っている。というか、それを決め台詞に使うなと言いたい。

 でも「辞世の句」を知っているなんて、じつは結構、日本に詳しいんじゃあ。そう考えて読み進めてみれば、いろんな言葉が目についてくる。「村八分」を「ムラハチ」と呼んで恐れていたり、昔は警報装置的役目も果たしていた「鳴子」を「ナリコ」としてブービートラップに用いたり、警官のことを「マッポ」というスケバン刑事以来誰も使っていないであろう昭和なスラングで呼んでいたり……。昭和どころか、「フーリンカザン」の精神に則って戦い、ポピュラーな照明器具は「ボンボリ」、「古事記」に載っているという「モタロ伝説」、メンポ、ヌンチャク、ブレーサーからなる「“真”の三種の神器」……と日本の歴史や伝統文化らしきものもおさえている。「チンチンカモカモ」なんて江戸時代の俗語、日本人だってほとんど知らないよ! もしかしてこいつら、日本人以上に日本を知っているんじゃないか!? と思わされてしまうのだが、それぞれの使い方や使いどころが微妙に間違っている。中途半端に詳しい(でも、微妙に間違っている)ことが、「サムライ、ゲイシャ、スシ」だけのよくある“外国人の考える日本”像ともまたちがう、奇妙キテレツな日本を生み出してしまったのだろう。

 ほかにも「インガオホー!(因果応報のこと)」や「Wasshoi!(ワッショイ)」「安い、実際安い」など、ページをめくるたびに次々とぶっ飛んだ日本語が飛び出してくる。その勢いたるや、頭のなかがどんどん浸食され、日常的に「田中=サン! ユウジョウ!」と言ってしまいそうだ。

 頭ではちがう! とわかっていても、気づけばそんな言葉使いになってしまいそうなほど、勢いと中毒性のある日本語がギュッと詰まったこの1冊。読むときは、そんな危険性がはらんでいることを常に意識しておいたほうがいいだろう。