まさに名人芸! 進化し続けるあだち充作品 

マンガ

更新日:2012/11/7

 デビューから42年、『タッチ』『H2』など青春マンガの金字塔を数々打ち立ててきたマンガ家・あだち充。その作風で特徴的なのは、連続性の中で笑わせるコマ割り、作者が作中に登場するメタ構造、繰り返し登場するパンチラや水着……もはや様式美とも呼べる「あだちスタイル」だ。『ダ・ヴィンチ』12月号のあだち充特集では、「あだちスタイル」の特徴と変遷を、米沢嘉博記念図書館の運営も手がける気鋭のマンガ研究者・斎藤宣彦が徹底分析している。

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 「ヒラヒラくん」シリーズで出会ってから35年来のあだち充ファンだという、マンガ研究者の斎藤宣彦さん。まずは「あだち充は、非常に落ち着いた“マンネリズム”の王道をずっとやってきた作家のように見えるかもしれないんですが、実はそうではないんですよ」とひとこと。

 「私たち読者は、長い人だと子どもの頃から何十年も“あだちスタイル”の作品を見てきているので変わっていないように思ってしまうんですが、あだちさん自身は、冒険して少しずつ変わりながらスタイルを固めていった作家なんです」

 初期の作品を見てみると、描き込みの多い劇画タッチの作品など、確かに一見して今のスタイルとは異なることがわかる。
「貸本劇画の影響からスタートしています。子どもの頃から貸本マンガ誌に絵や文を投稿していて、お兄さんの勉さんと共に“群馬のあだち兄弟”として名を馳せていました。劇画家のさいとう・たかを、園田光慶からアクションの線を、永島慎二からは叙情を学ぶ。その後石井いさみのアシスタント時代に女性の描き方を学んだのだと思います。石井いさみの、劇画タッチの男性陣の中で、そこだけ白く抜けたように存在する涼風のような少女があだち作品のヒロイン像に受け継がれている。聖女、とまではいかないですが、女性をあまりひどい目にあわせられない、というのも石井さんの影響なのでは」

 20代、あまり芽がでなかった頃に原作つきやコミカライズ、学習誌、少女マンガまで、多種多様な作品を描き、経験値をあげていった。
「劇画の影響が濾過(ろか)されて残りながら、破天荒な作品もいろいろ描いている。70年代、日本のマンガが成熟していく中で、あだちさんも地盤となる力を蓄えていったのだと思います」

 そして、少年誌『週刊少年サンデー』のメイン作家に。
「以来、少年誌をずっと主戦場にして闘っている。数少ない、長距離走者ですよね。“青春の汗と悩み”を描くと、ふつうは画面もストーリーも暗く重くなるものですが、それをさわやかに描いたのはあだちさんの発明。野球に恋愛をからめるのではなく、恋愛に野球をからめる、というのも大きな発明ですよね。『サンデー』の看板作家になってからも時代ものの『虹色とうがらし』や超能力を扱った『いつも美空』のようにバラエティ豊かな作品を手がけつつ、青春、学園、野球という“ホームグラウンド”に回帰しながら、スタイルを確立していった。この経験の豊富さが、あだち充の作家的な強靭さを作っているという印象があります」

 私たちが感じる「あだちスタイル」が確立するまでには、実はこんな経緯があったのだ。
「少しずつ変わっていったので、その変化に気づきにくい。落語でいうと、前座から始まって、いつのまにか真打、大名人になった人と言えるんじゃないでしょうか。名人の落語に、観客は安心感と同時に期待も寄せるもの。まったく同じあの芸を見たいとも思うし、違うものを見せてくれるんじゃないか、とも思う。あだちさんは、最前線の寄席で、名人芸を繰り広げている作家なんだと思います」

 特集では具体的なマンガのコマを挙げながらさらに細かい分析も行うなど、あだち充作品の魅力の秘密に迫っている。

取材・文=門倉紫麻
ダ・ヴィンチ12月号「あだち充特集」より)