人のSOSが聞こえたら、あなたはどうしますか?

小説・エッセイ

公開日:2013/2/1

SOSの猿

ハード : Windows/Mac/iPhone/iPad/Android/Reader 発売元 : 中央公論新社
ジャンル:小説・エッセイ 購入元:紀伊國屋書店Kinoppy
著者名:伊坂幸太郎 価格:648円

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他人のSOSをなぜか敏感にキャッチしてしまい、けれど何もできないことを情けなく感じている遠藤二郎。彼は家電量販店の店員だが、実はイタリア留学中に悪魔払いの修行をしたという経験を持つ。それが変なふうに伝わったか、知り合いから「息子が引きこもりになって困っている」という相談を受けた。自分には何もできないんだけどなあと思いつつ、その子に会いに行った二郎だったが……。

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本書は二郎の章ともうひとつ、システム会社の社員・五十嵐真の章が並行して語られる。自社のシステムを使っている証券会社でトラブルが起き、その原因究明と対応に向かった五十嵐は……これがちょっとおかしいのだ。まずこの章は、視点人物が誰なのかわからないのだ。しかも五十嵐は奇怪な幻想に出会い……いや、幻想じゃないのか? え、孫悟空が出てくるの? これ、何?

と、一見何の繋がりもなさそうなふたつの物語が並行して語られるんだが、もちろん無関係なはずはない。ちゃんとつながる。しかも驚くような手法で。話がどこに向かっているのかまったくわからないままどんどん転がり、しかし気付いてみれば、あれがここにつながるのか、あれがこれの伏線だったのかという驚きポイントが次々出てくるという、まさに伊坂幸太郎の「技術」が詰まった構造だ。しかもすべてスッキリ理に落ちるのではないというのがポイント。その計算と割り切れなさのバランス感覚がまたタマラナイ。それは「理」と「情」のバランスと言い換えてもいい。

伊坂作品が不思議なのは、どこに向かっているのかまったくわからないままどんどん転がる話に、なぜするするとついていけるのか、ということだ。その秘密は語り口調にある。伊坂作品のキャラクタの飄々とした──どんな深刻な事態が起きてもどこかでそれを客観視する別人格がいるかのような語りは、読んでいて目に楽しい。文章そのものがクセになる。目の前で展開される場面が物語全体の中でどんな位置にあるのかはわからなくても、その場面場面が心地よく、刺戟的。それがいつしかつながっていくのだから、読み始めたら止まらないのも道理。

中に、コンビニ前で「ゲリラ合唱」をしているグループが登場する。何の為に歌うのか、それで誰かを救えるのかと詰問され、「隕石みたいなものだ」と答える。「わたしたちの歌は、空からでっかい石を運んでくるわけ。聴いてる人の胸にその隕石をぶつけるの」と。歌が与えるのは、遠くから降ってくる大事な感覚。最初の一波紋。目に見えない何かに繋がるためのものだと。創作や芸術は、直接受け手を助けたり手を差し伸べたりはできないけど、その受け手が何かを感じ、育てていく最初の一石にはなり得る。それを救いと呼ぶのかもしれない。『SOSの猿』は、まさにそんな物語である。


表紙はかなり改善の余地あり。文庫の表紙を使ってくれればベストだが、それがムリでもせめて解像度をあげないとタブレットでこれはチトつらい

伊坂作品の例にもれず、視点人物に沿ったイラストが章の頭に。こちらは二郎の章

そしてこちらは猿(?)の章