美しくはかなく切ない、シュールなラブストーリー。映画上映中!
更新日:2013/11/12
ワチシたちは「難病もの」が好きだ。
堀辰雄&宮崎駿の『風立ちぬ』も難病ものだし、自叙伝のベストセラーも難病ものが多い。思い出したくないが『世界の中心で、愛をさけぶ』なんつうのもありやがった。一頃量産されたアイドル映画なんぞも、たとえば山口百恵の一連の主演映画はほとんど難病か薄倖の少女ものだったではないか。
難病とはいっても、「水虫に侵された少女」というのはあまりない。シジムサイというより、水虫では死ねないからだ。死という絶対の力が襲いかかりむなしくそれにあらがう恋人の姿が、崇高な愛の炎を垣間見せる仕組みになっているのだ。
『うたかたの日々』も、ひとまずは「難病もの」である。ことに映画化された『ムード・インディゴ うたかたの日々』は、めいっぱい難病している。
裕福な青年コランと恋人クロエ。ある日クロエの肺が死病を病み、コランは彼女を助けようと悪戦苦闘する。その闘いもあえなく、クロエは……
メインのプロットはこういう具合でもって、誰はばかる事なき難病ものでできている。
ところが、書かれ方がまるで違うのだ、一般のこの手の作品と。著者ボリス・ヴィアンは詩人とシュールレアリストの持ち前を存分に、というより過剰に発揮し、とんでもなくへんてこな、でもってだからこそ痛いほど切ないラブストーリーにこの一作を仕上げているんである。
一番特徴的なのが、肺を病んだクロエが患う病気は結核ではない。肺の中に蓮の花が咲く病いだ。これは何かの比喩ではない。そのままの意味だ。つまりこの世界はワチシたちの世界から1歩も2歩も浮き上がった幻想の世界なのだ。その幻想の中で、肺に蓮の花が咲くという出来事は死と隣り合わせであると同時に、たいそう美しい病気に見えはしないか。
演奏するとカクテルを作るピアノというのも出てくる。これもイメージの遊びをねらって織り込まれているもので、ようはワチシたちは次々と水たまりの中にステップしていくように、詩の生み出す華麗にして切実な言葉の水に足をひたしていけばいいのだ。
著者は「はじめに」の中でこう書いている。大切なのはきれいな女の子との恋愛だ。それとニューオリンズとデューク・エリントンの音楽。そのほかのものはみんな消えちまえばいい。なぜってほかのものはみんな醜いからだ。
美しいもの、かっこいいもの、素敵なものがこの小説では繰り出されてくる。
が、けっこう笑える要素もあるとこが魅力的。たとえばこんな記述がある。冒頭です。コラン青年は風呂から出て、ローブを羽織ります。
「ふんわりとしたタオル地に身を包み、足と胴体だけがはみ出していた」
頭と腕包んでどうすんの!
うっかりすると読み損なうシュールな記述が至る所にちりばめられて面白い面白い。
なお、えらい金持ちだったコラン君は、クロエの病気を治すため、彼女のまわりを花で埋め尽くすため、金欠に陥り働き始めます。このあたりから彼を取り巻く世界は腐って、崩れ、醜悪に、おぞましく姿を変えていくという、実に悲しいラブストーリーに姿を変えるのであります。
冒頭からへんてこな描写
演奏するとカクテルを作るピアノ
ニコルはクロエに出会う
(C)ボリス・ヴィアン/早川書房