「映画屋」たちの熱い魂の群像劇

公開日:2013/12/10

仁義なき日本沈没―東宝VS.東映の戦後サバイバル

ハード : Windows/Mac/iPhone/iPad/Android/Reader 発売元 : 新潮社
ジャンル:教養・人文・歴史 購入元:紀伊國屋書店Kinoppy
著者名:春日太一 価格:648円

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昭和30年生まれの僕は、いわゆる日本映画全盛期に小学生を過ごした。萬屋錦之介も片岡知恵蔵も美空ひばりも『雲の上団五郎一座』も『座頭市』も『眠狂四郎』も、みんなオンタイムで銀幕の上に見ている。でも、僕の年代のみんながその至福の一時をすごしていたわけではない。友達が近所の公園で野球に興じていたときに肉弾戦の苦手な僕は映画館の暗闇に身をひたしていただけの話だ。

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つじつまがつながっていなくとも、山場山場の連続で物語が進み、華麗な殺陣の舞い踊る映像のスピーディーな展開に目を奪うのを、アホみたいに口を開けてそこに五枚五円のおせんべをしゃぶらせていたのである。

本書の書き出しはこうだ。

「長期低迷傾向にあった日本映画界は21世紀に入り、急激な復活を遂げた。記録を塗り替える大ヒット作が次々と登場し、観客動員も興行収入も右肩上がりになっていった。だが、個々の映画に関しては、内容への評判が興行成績と乖離することが多くなっている。特に年配の方々が日本映画について語る際、必ずといっていいほど、ある決まった言葉が伴われる。「昔はよかった」と

僕もこの「昔はよかった」の口だ。昔は映画が映画だったと。

しかし、本書の眼目は、昔の映画のなにがよかったのか。いまの映画はなにがもの足りないのか。その質を云々するところにあるのではないという。「昔」が「今」にどのようにいつ切り替わったのかその変遷を見ていこうとするのだ。

タイトルの「仁義なき」は東映のヒットシリーズ『仁義なき戦い』を、「日本沈没」は東宝の起死回生の大作『日本沈没』を表していてる。つまり、東映と東宝の興行的な闘いの変遷に日本映画全体の興亡を跡づけていく試みなのである。

戦後、まずトップを切ったのは東映の時代劇である。スターシステムによる、明るく華やかな画面は、娯楽の少なかった人々の心をわしづかみにした。遅れた東宝は大作主義で後を追い、とうとう黒沢の『用心棒』や『椿三十郎』で巻き返しに出る。これに負けじと東映側は任侠路線へとメインを切り替え「緋牡丹博徒」シリーズなどで、「家族そろって」から20代を中心とした若者層に入れ替わっていた観客を虜にした。

ときどきの観客の嗜好や世の中の流れに合わせて、四苦八苦しながら興行界を乗り切ってきた映画会社の呻吟が、おもに製作者サイドの、つまり監督や裏方たちの血の出るような努力や苦労を主に綴られていく。

そこには、まぎれもない「映画屋」の、言いかえるなら「映画に命をかけた職人」の、魂の熱い群像劇が見て取れる。

熱いのは映画人だけではない、1973年を境に「昔」と「今」が入れ替わったと談ずる著者の筆先も同様に熱を帯びている。本当に映画が好きなんだなあと思わせずにおかない。往年の全盛期を目の当たりにした者は懐かしく、今の映画しか知らないものも偉大な伝説として、読んで罰は当たるまい。


映画館の数は増え続けた

館内は人であふれかえった

東映映画科は受けに受けたのである

「七人の侍」は画期的な時代劇だったのだ

「用心棒」の殺陣はリアルに徹した