日常の澱のようなものを静かに描き出す短編連絡集【第150回直木賞候補作】

小説・エッセイ

公開日:2014/1/8

あとかた

ハード : PC/iPhone/Android 発売元 : 新潮社
ジャンル: 購入元:BookLive!
著者名:千早茜 価格:1,210円

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スノーボールという玩具がある。

球体のガラスの中にミニチュアの家がしつらえられており、逆さにしたり振ったりすると、白い澱のような小片が優雅に膨らんで球体の中を満たし、それがゆっくりと静まってゆくのがあたかも降りしきる雪景色のごとく美し見えるおもちゃだ。

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この連作短編集を読んでスノーボールを連想した。

私たちは、生きていると誰しも、こうなってしまったけれど本当はああなればよかった、ささやかな幸せにたどり着いたけれど激しい不幸せの中で熱い恋に堕ちてもしまいたかった、なに不自由ない自分が不満でわざと不倫な生活に飛び込んでやる、といった矛盾と悔恨と理不尽さをかかえずにはいられない。

『あとかた』はそうした生活の沈殿物の不穏な舞いあがりをしなやかに、そしてなによりも「静かに」描く。

5年つきあった彼との結婚をひかえて、決して彼を嫌いになったわけでなく、女は別の男との情事を持つようになった。それはやましいことのはずだが結婚する彼との時間と何気なく地続きになっている。女は男に歯形をつけられる。

あるいはごく真面目だった職場の副部長が自殺する。彼は会社の屋上の仕切りの外にしばらく座っていたらしい。そこに手形が残されていた。

そう、ここに収められた6つの短編を連作化しているのは、登場しないひとりの男の影がどの短編にもほのかに見え隠れしているのと、歯形や手形や指輪のあとや、なにかの「あとかた」が必ず印象的な形で登場するからだ。

あとかたというのは、あとかたをつけたものの残り香である。あとかたをつけた物体のほうはもうそこを離れている。もうそこにはなにもないことがかつてあったものを証明するのだ。

あたかもなにかの「あとかた」のように、この短編たちは私たちの日常を舞う澱を裏返しに描いてみせる。


繊細な書き出し

男はさりげなく触れてくる

揺れる心

肩に歯形をつけられる