芥川賞受賞作家の処女作! 不条理な世界でなぜ人は働くのだろうか
更新日:2014/2/7
小学校の時の工作の授業で、大きな模造紙の上に寝転んで、友人に自分の身体の輪郭をなぞってもらい、等身大の絵を書いたことがあった。その頃は輪郭のある確かな自分がいた気がするのだが、年を経るごとに自分の存在はひどく不確かなものに思えてくる。私は何のために生きているのか。虚無感や徒労感が目の前の景色さえ、ゆがませていく。
『工場』は第150回芥川賞を受賞した小山田浩子氏の処女作が収められた小説集だ。「新潮新人賞」、「織田作之助賞受賞」を受賞した表題の他、「ディスカス忌」「いこぼれのむし」の2篇が収録されている。カフカを思い起こさせる不条理な作品展開に読む人は惑わされてしまう。だが、考えずにはいられなくなる。自分は何のために働いているのだろうか。はたして、世の中の役に立っているのだろうか。この本は読む迷路だ。人を思考の迷路へと迷い込ませる。
表題の舞台は、衣食住全ての機能が含まれた広大な敷地を持つ工場だ。延々とひたすら書類をシュレッダーにかける仕事をする契約社員・牛山佳子。何のためか分からない資料の校閲・添削を続ける派遣社員・佳子の兄。工場内のコケの観察をし、屋上緑地化を目指す仕事をする正規社員・古笛よしお。立場の異なる3人はそれぞれ、工場の中で淡々と仕事をこなしていく。
人物の視点、時間軸が大胆に入れ替わっていく物語の中で、3人の主人公はやりがいもノルマもない仕事を与えられている。例えば、佳子の兄の校閲の仕事は失敗しても責任は問われないし、自分が間違えたかどうかもわからない。必要とは思えない原稿や書類の修正が延々と続き、再稿として戻ってくると、悪化している。どこの誰が自分の訂正を見てくれているかもわからないまま仕事をしなくてはならない。ここはいったい何の工場なのだろうか。働く者にはその全体像すらつかめないのだ。自分が何の歯車なのかもわからぬまま、工場での日常は毎日続いていく。
工場の中には「工場ウ」「洗濯トカゲ」「灰色ヌートリア」という謎の生物たちが生息する。だが、工場内の人びとはそれを珍しいとも思わない。一度工場に同化してしまえば、中のオカシイところには目がいかなくなり、仕事それ自体にも次第に疑問を抱かなくなる。
私たちは何のために仕事をしているんだろう。世の中の役に立てているだろうか。私は何者なのか? 工場という社会の縮図の中であがく労働者の姿は見ていて苦しい。不条理な世界をどう生き抜くか、そのために読まねばならない1冊。
一体何の工場なのだろうか。働くとわからなくなる
工場内には謎の動物が多くいる。その生態とは?
工場内にいる人は自然と関わり合うこととなる
仕事って何だろうか
表題以外の作品もゾッとさせられる物語だ。小山田ワールドに惹きつけられること間違いない