104歳で大往生をとげた天性の詩人の詩集を、今、読んでみませんか?
更新日:2014/3/11
生きるというのは、自分の弱さを認め続けることではないだろうか。呼吸をするように言葉を紡ぎ続けたまど・みちお氏の作品を読んで、ふと、そう感じた。先日104歳の大往生を遂げた彼の作品は現代人の心に響くものがある。
『逃げの一手』は、まど・みちお氏が100歳の時に刊行された詩集だ。変わったタイトルが印象的だが、このタイトルについてまど・みちお氏はこんなことを述べている。
「山川草木、すべての中には、いのちがあります。その中の、人間は一匹に過ぎないんです。私はこの中で“逃げの一手”を貫いてきたことになると思うんです。詩の中に逃げること、臆病な自分から逃げるということでもあります。むしろ、大胆とも言えるかもしれません。逃げることによって、逆に生まれることにもなります。「逃げの一手」でここまで来たことに間違いはありません。それが私の生き方だったと思います」
「逃げ」を選ぶことは弱いことなのだろうか。生き方そのものを“逃げの一手”だったと断定できる姿にこそ、彼の力強さを感じられるのではないか。虚勢を張るのではなく、ありのままの自分で世界を眺められれば、風向きが変わるのが分かるだろう。彼は臆病な自分を見つめ、生きるために詩を書き続けた。そんな天性の詩人が作る詩はどれをとっても私たちの胸を打つ。
この世広しといえど人間さまだけ
犬も豚も本は読まない
すべての動物が自然を読んでいるのだ (「オレは無学だ」より抜粋)
難しい言葉は一切使っていないからこそ、まど氏の言葉はスラスラと私たちへの身体へと解けていく。言葉にも温度があるのだ。彼の言葉は時に温かく、時に冷たい。だが、常に新しい発見をくれる。私たちは万能な存在ではないのだ、ちっぽけな存在なのだと思わされることもあるし、日々失ってしまっている何かに気づかされることもある。しかし、その発見はいつも私たちを前進させてくれる。言葉の栄養ドリンクといったところか。1冊、詩を読み通せば、いつもよりも背筋が伸びて、前を見据えている自分に気づく。
100歳を超えてもなお、まど・みちお氏は、世の中から新しいものを見出そうとしていた。そんな前向きな姿勢で私たちは世の中を見通せているだろうか。日々マンネリ化する日常に埋没し、つまらない日常を送っているのではないか。まど氏の詩は、私たちにそんな警鐘をならしているようにも聞こえる。
大切なのは感性。何を見、何を聞き、それをどう表現するかが人の心をつかむのだ。こんな感性を、そして、こんな生き方を見習って、毎日、新しいことを見いだし続ける私でいたい。
こんな感性を見ならいたい
絵にも目を奪われる
命について考えさせられるものから面白いものまで
100歳を越えても「マンネリ」を避けようと日々を生きていたまどみちお氏
彼の言葉は現代人の心を揺り動かされるものがある
(C)まど・みちお/小学館