「科学」アレルギー治療への第一歩。もう、逃げない避けない惑わない…

公開日:2011/10/26

科学的とはどういう意味か

ハード : PC/iPhone/iPad 発売元 : 幻冬舎
ジャンル: 購入元:電子文庫パブリ
著者名:森博嗣 価格:756円

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建築学の研究者であり、小説家である著者による、「科学」を説いていくエッセイ。

何を隠そう僕自身、文学部卒業のド文系です。「科学」なんて、遠い向こう岸の碧い芝。「科学」に対するはっきりとした意識や定義をしないままに、これまでの人生を過ごしてきました。ええ、軽い「科学」アレルギーです。

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本書の中では、文系人間と理系人間を対比したり、やや文系人間に対する攻撃的な論調(ちょっと言い過ぎなところもありますが)を展開したりする箇所もみられます。理系科目から逃げ出した過去を持つ僕としては、チクリチクリと心を痛めつけられているような感覚に陥ります。もちろん、文系人間を攻撃することが、著者の意図ではありませんが…。

“ようするに、「文系」「理系」というのは、絶対的な位置ではなく、それぞれの立場から、「あちらは文系っぽい」「こちらの方が理系っぽい」という相対的な(多くは主観的な)観測による「印象」でしかない。”

受験で文系・理系の区別はありますけど、確かにこの通りで「文系」という言葉は「数字が苦手な自分」や「物理が全くとんちんかんな私」を自虐的に語るときのレッテルのようなものでもあります。が、危険なのはこの延長線上にある “「難しいことはわからないから結論だけ言って」と拒絶される。明らかな思考停止” の状態。これは、本人の不利益や危険をもたらすだけではなく、社会への悪影響を与えかねないと、著者はいいます。

そして…、 “科学を避けることは、この現代に生きていくうえではほとんど無理なのである。「僕は日本が嫌いだから、日本語は聞きたくない」というレベルだといっても良い。もはや、好きとか嫌いで片づけられるものではない、ということだ。”

もはや、ぐうの音もでないわけですが…。文系の同志たちよ、ここでひるむ事なかれ。読み進めれば救われるのが本書です。

科学とは“誰にでも再現できるもの”なのだそうです。それが結論です。わかったようなわからないような、そんな感じですよね? だがしかし、ここで歩みを止めてはなりません。結論にいたるその中身にアプローチすることこそが「科学」への第一歩であり、思考停止から脱するきっかけとなるのですから。


東日本大震災についても言及しています。“「津波」とは何なのか、どういったメカニズムで安全を確保しているのか、何メートルの津波まで想定されているのか、という「科学」が忘れられている”

マスコミ報道についてもチクリ。“「人々の印象」を伝えることが「正しい情報」だと考えているようにさえ思える”

科学的にあるために、 “数字を聞いても耳を塞がない” ことから始めることを勧めています

“科学とは「誰にでも再現できるもの」”、“誰にでも再現できるステップを踏むシステムこそが「科学的」”