100万回生まれ変わったトラねこが、「きちんと死ねる」心を取り戻す話

100万回生きたねこ 講談社の創作絵本

ハード : 発売元 : 講談社
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 命からがら人の世の荒波をくぐり抜け、ようやく大人といわれる浮島に、なんとかこぎ着け、やれやれ若さなんて二度と願い下げだと、フッと一息安らかな胸を撫でおろしたすべての人々に、読むべくして読まねばならぬ1冊の書物があるとすれば、それこそが本書『100万回生きたねこ』なんである。

 100万回も生まれ変わるトラねこの物語だ。

 ご存じ、今さらいうにや及ぶ名作中の名作絵本で、すでにお読みになられた御仁には、お気の毒にもわたくしの駄文に接するや、「ケッ」とばかりに、これまた傑作のあの絵本、佐々木マキの「やっぱりオオカミ」の気分になられるかも知れないが、そこは平にご勘弁、しばしおつきあい願いたい。

 思いぞ屈せし時、ここは一つ死んで見るのも悪くなかろうなどと、けしからぬ誘いに身を没したためしが、誰にも一度くらいはあるのではなかろうか。自殺というやつである。これはひとえに彼を囲むまわりの世界を嫌悪するからで、にっくき世界の奴めをメチャメチャにしてやりたい恨みが、それはかなわぬものだから、世界のほうをつぶさずに、自分のほうを壊してしまえというでんぐり返った発想にたどり着いた結果である。

 自分に絶望し、はなはだしく自棄になり、おのれをもてあまして苦しく、最早なにも考えられぬまま自ら儚くおなりになる場合も同じ先ほどと事情だ。わかりにくいかも知れないが、人にとって自分の体は「自然」である。道ばたに転がる石となんら変わらぬ、「外の世界」に属した物質の塊である。自己嫌悪を抱く脳内の「私」は、外の世界の一部である「身体」を、いっそひと思いに、なくしてしまえと切望する。だが、みごと身体という世界を殲滅するや、その完遂を確かめることもできず、「私」も消滅してしまうという悲しいメカニズムになっている。はかないことである。

 死んでも死んでも甦ってしまい、100万回も命を繰り返すこの本の名前もないとらねこは、新しい生を受けるたび、漁師や泥棒やおばあさんや、くさぐさのねこ好きに飼われるのであるけれど、飼い主ほどには彼らを愛してはいない。むしろ嫌っている。

 傲岸にも、彼は世の中に好きなものなど何にもないのである。ただ自分だけが好きなのだ。自分だけが好きな力で、100万回の人生を謳歌していやがる。

 ところが1匹の白雌ねこに出会ったときから、彼の命は別の道を歩き始める。この作品の重要なメッセージだから詳しく解説することはできない。ただ、死ぬことと生きることとの大切な法則が描かれているとだけいっておこう。

 でもね、わたくしは思うのです、ちょいと調子よすぎるのではないかと。都合両全。塩梅勝手。我が身だけを愛するねこが、100万回なに不自由なく暮らし、ほんとうの生の終わりに、こういう経験をするのか。ずるい。それならたった一つのはかない命脈を、必死になって這いずり回り、まあまあの幸せの中に亡くなる多くの報われない人たちはどうすればいいのだ。

 もちろんこの作品は、大人のためのメタファーであり、問題は死ぬことと生きることの「姿勢」にフォーカスを取り出すことができるわけだけれど、それではこのとらねこは、どのようにして100万回の現世に耐えていたのだろうか。

 いくら自分が好きでも、100万回の唾棄すべき世界に生まれきて、それこそ死ぬる思い出で、とうてい我慢できまい。しかも、いくら自害してもこの世に舞い戻ってしまうとくる。

 いや、分かっているのだ、これも愚劣な深読みだということは。でも私にはこの通りの感想しか抱けない。そこで、一度でも死んでしまおうかと思い詰めた大人の方にぜひ読んでみてもらいたいのである。読んでもらって、私の蒙昧な精神の働きを、一蹴り背中から原っぱにでも転がしていただきたい。どうぞよろしく。


そのねこは100万年、100万回生きてきた

そのねこは100万年、100万回生きてきた

飼い主のいなくなったねこは、初めてひとりぼっちになって、ますます思い上がるよう

ある日とらねこは、一匹の白いねこに出会う



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