少年が交歓した「もの」との肌ざわりを綴る幻想的なエッセイ
更新日:2011/11/24
赤瀬川原平の名前をダイレクトに知る人はそんなに多くないかも知れない。明治時代の人? とか、ラーメン屋の匠? とか、いろいろいう人もきっといるだろう。
でも、こういえばすぐ分かるのだ。「老人力」のいいだしっぺ。
「トマソン」ていう街の中にある変てこなものの写真を流行らせた人。南伸坊、杉浦日向子、松田哲男らと「東京路上観察学会」を設立した人。文学好きにはこういう言い方もある。尾辻克彦の名前で「父が消えた」で芥川賞を取った人。現代美術の愛好家になら「ハイレッドセンター」という集団でかつて街中でさまざまな過激なパフォーマンスをおこなった人。
とにかく、業績がたんまりある才人なのだ。
で、芥川賞を取ったくらいだから文章がうまい。うまいだけでなく味がある。こりに凝った言葉で飾った味でなく、優しい言葉で、まるで作文みたいに書きながら深い味わいを出すところが飛び切りの魅力なのだ。評論家の吉本隆明は赤瀬川の文章を評して、言葉で絵を描いていくといった。
「少年とオブジェ」は赤瀬川のごく初期のエッセイ集である。子供のころに触れた「オブジェ」、つまり「もの」との交歓を綴った読み物だ。ただ、赤瀬川がとくに印象深く記憶しているその「もの」というのが、一風変わっていて、枕、爆弾、革靴、電球、蛇口、消しゴムって具合にならんでいく。
書きぶりがフェティッシュ、つまりそれらの「もの」と手足が触れあう肌ざわりをめぐって回想が展開するから頭でなく体で思考しがちな読み手なんかはドツボにはまるというか、メロメロになっちゃう本なんである。
たとえば枕、子供の時寝ようとすると枕の中に土塀が入っていた、と赤瀬川はいうのだ。それはお隣さんとの境に立っている土塀で、頭を乗せるとシャーッ、シャーッと職人が鏝を滑らせる。なんでこんないやなものを枕に入れて売るのだろう。そう続くのである。
フェティッシュで、幻想的で、子供的論理で、わかりにくいことが分かりやすい言葉で書いてある。すんばらしいエッセイ集なんである。
挿画も赤瀬川原平 シュールなタッチがステキ
小学生にして不眠症だった著者の、枕への想いは複雑
飛行機がぐにゃりと曲がるなど、ちょっとダリ?
戦争中、爆弾の破片を拾い集めたというのも、論理がフェチに勝ったというか