小澤征爾さんもかつて指揮した群馬交響楽団。その結成と運営に人生を賭けた男の生きざまに迫る
更新日:2011/9/12
かつて、経済誌の編集の仕事をしていた頃、好きでよく見ていた「プロジェクトX」。
仕事柄、さまざまな職場で働く人々の生きざまを見聞きする機会が多くあったのですが、そんな彼らの姿と、あの番組で独特の口調で語られる、何かを成し遂げようとする人々の姿がオーバーラップしていました。
もちろん全シリーズをテレビで見ていたわけではないので、今回、書籍版「プロジェクトX」で「第九への果てなき道/貧乏楽団の逆転劇」を読んでみました。昭和20年代に日本初の市民楽団「群馬交響楽団」が、当時、人口10万にも満たない地方都市・高崎に誕生したというお話です。
このお話の主人公は、群馬交響楽団を立ち上げ、運営したリーダーの丸山勝廣さん。戦後まもなく、「日本の復興の幕開けを、音楽で飾る」――という思いを抱き、市民による前代未聞のオーケストラを結成し、楽団の運営に命懸けで取り組んだ人物です。メンバーをそろえるのに一苦労、楽器もなかなか調達できず、資金難に陥り、メンバーが辞めていくという事態にも…。それでも丸山さんはあきらめません。お世辞にも良い演奏を披露できたとは言えない最初の演奏会の会場で、喜ぶ聴衆の姿を見た瞬間、丸山さんは、「僕は楽団に人生を賭ける」と決意したからです。そして、ついには、200名の合唱団が必要となる「第九」を演奏する日が訪れるのです。
それにしても苦労の連続。「この人、すごい熱血漢でしたよ。やると決めたら、がむしゃらに行くの。たじたじでしたよ」と小澤征爾さんも語るくらいですから、ものすごい情熱を傾けて、楽団を率いていたのでしょう。当時、学生だった小澤征爾さんは、群馬交響楽団の「移動音楽教室」(定期収入確保のため、群馬交響楽団が開催していた小学校で行う演奏会)で、指揮棒を振るっていたのです。
この、何かを成し遂げようとする情熱はいったいどこからわいてくるのでしょう? 「プロジェクトX」を見た(今回は読んだ)後には必ず、あぁ、私もがんばらなくてはといった思いに駆られます。
多忙を極める小澤征爾さんへの取材は、長野県松本市で開催された「サイトウ・キネン・フェスティバル」の出演の合間に行われたそうです
子どものころ“ガキ大将”だったという丸山勝廣さん。戦前は職を転々とする日々が続いていたそうです