改号すること30回、転居すること93回。北斎の絵の魅力、永遠

公開日:2011/11/14

北斎 (1)

ハード : PC/iPhone/iPad/WindowsPhone/Android 発売元 : 石森章太郎プロ
ジャンル:コミック 購入元:eBookJapan
著者名:石ノ森章太郎 価格:315円

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石ノ森章太郎が葛飾北斎の生涯を描いた作品。
葛飾北斎は御存知「富嶽三十六景」や「北斎漫画」などを描いた江戸時代後期の浮世絵師。そして石ノ森章太郎も日本が世界に誇るマンガ家。その石ノ森章太郎が自分と同じ立場、絵を描く人間をどう描くかに非常に興味があった。

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物語のはじまりは嘉永2年(1849年)の春。病床に伏す北斎。その年は享年にあたる。だが北斎の心は未だ何かを描くことにとり憑かれていた。

そして遡り、北斎42歳。寛政10年(1798年)、突然北斎という号を決め、今まで使っていた俵屋宗理という号を弟子の宗二に与える。世間は名前で判断する。その名前に縛られるより、自分のほうから変わろうと変名するのである。変わるのなら、いっそのこと再婚しようと考えるところが芸術家精神なのか。相手は誰でもいいと道で最初に出会った女に声をかけ、妻にしてしまう。

その変人ぶりは仕事にまでおよび、版元蔦屋重三郎から俵屋宗理号なら画集を出版してもいいと持ちかけられても、北斎は断固拒否する。宗理号なら知られているが、北斎では誰も知らないという理由なのも当然である。結局、戯作者山東京伝が仲裁し、宗理改め北斎の落款で出版する案を出し、しぶしぶ承諾するという結末に至る。北斎は北斎号と自分が変わることにそこまでこだわったのだった。

そして護国寺への奉納絵エピソード。150畳大の紙に達磨の顔を描くパフォーマンス。このパフォーマンスで葛飾に北斎ありと人々の噂にのぼりはじめるのである。北斎は変わることだけでなく、挑戦し続けること、そして人々に認められることにこだわり続けていたのである。

そして物語は北斎の幼少から画家への道を歩む姿が描かれる。貸本屋の丁稚、木版彫刻師の従弟、鏡磨師中島伊勢への婿入り、そして出奔。作品は様々な北斎の時代を描いていく。

石ノ森章太郎が描きたかったのは、最後まで画家という自分へ抗った北斎の姿だと思えた。生命の結末は嘉永2年(1849年)の春に変わりない。だが、常に抗い続けた精神は絵に昇華され、今も生き続けている。そして、それがマンガ家としての本望だと伝えたかったのだと思う。


目次。画狂老人という呼び名が往年の北斎を顕著に表している

扉絵。北斎が北斎絵を机に描いてる姿が面白い

序章。病床で、筆さえ握れない北斎。だが心の内は

護国寺の奉納絵

名前などどうでもいい。絵が描ければ。それが北斎の精神 (C)石森章太郎プロ