「平成の大犯罪」和歌山カレー事件20年目の真実―林眞須美は真犯人だったのか?

社会

公開日:2018/8/31

『「毒婦」和歌山カレー事件20年目の真実』(田中ひかる/ビジネス社)

 1998年7月25日。和歌山市園部で、地元の夏祭りでふるまわれたカレーに毒物が混入される事件が起こった。異常を訴えた町民は67人、そして死者は4人にものぼった。和歌山県警は別件の保険金詐欺事件で逮捕していた林眞須美を殺人と殺人未遂の容疑で再逮捕する。2009年、眞須美の死刑が最高裁で確定し、事件は終焉を迎えたかのように見えた。

 園部の悲劇は「和歌山カレー事件」と呼ばれ、マスコミにも大きく取り上げられた。報道陣にホースで放水するなど、逮捕前から眞須美は夫の健治とともに世間の注目を集めていた。彼女は私怨から大量殺人を犯した「毒婦」として、世紀の悪女の汚名を着せられる。しかし、本当に真犯人なのか?『「毒婦」和歌山カレー事件20年目の真実』(田中ひかる/ビジネス社)は歴史社会学者である著者が、警察捜査の矛盾点を検証していくノンフィクションである。

 大前提として、彼女は現在にいたるまで殺人を認めていない。死刑が確定しても、獄中から再審を請求するなど、一貫して無罪を主張し続けている。つまり、最高裁は自白がないまま、警察捜査を信用して死刑判決を下したのだ。

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 最高裁による死刑判決の理由は3点だ。要約すると、(1)「カレーに混入されたヒ素と同じ種類のものが自宅から発見された」、(2)「眞須美の頭髪からヒ素が検出された」、(3)「カレーの番をしていた眞須美には犯行の機会があり、鍋のふたを開けるなどの姿も目撃されている」となる。

 しかし、事実関係を改めて整理した著者は、いずれも説得力に欠けるとの結論を下す。まず(1)についてだが、そもそも事件は当初、「青酸カレー事件」として報道されていた。被害者の症状が青酸化合物の特徴と一致していたからである。しかし、青酸化合物は時間が経過すると消滅するので、鑑識に引っかかりにくい。そして、「ヒ素も混入されていた」と警察が発表したのは事件から1週間以上経過してからだった。その間に、警察は林健治がかつてシロアリ駆除会社を営んでいたことをつかんでいた可能性が高い(シロアリ駆除にはヒ素が使用される)。

 やがて、逮捕後に林宅から発見されたプラスティック容器からヒ素が検出され、結果としてはこれが「決定的証拠」となる。しかし、ヒ素の鑑定内容は京都大学大学院の河合潤教授によって疑問符がつけられた。犯行に使われたとされる紙コップのヒ素と、自宅にあった容器のヒ素の濃度がまったく違ったのだ。そもそも、どうして決定的証拠を眞須美が自宅に保管していたのかも疑問である。

(2)についても、眞須美の頭髪から検出されたヒ素が「犯人でなければありえない量」とまでは断言できないと本書は指摘する。そして、(3)についても目撃者の証言が時期によって変わっているのは裁判で問題視されなかった。同時に、カレー鍋の番をしていた眞須美のそばにはずっと娘がいたことも裁判では無視された。家族をかばった信憑性のない証言だと解釈されたからだ。

 なお、逮捕後の眞須美に和歌山県警が行った自白強要についても本書は触れている。そして、過熱したマスコミの責任についても厳しい批判がなされている。先述した眞須美の「放水写真」は、彼女の「毒婦」としてのイメージを決定づけた。しかし、彼女があの行動にいたるまでには、マスコミが林の郵便物を勝手にのぞいたり、子ども部屋を無断で撮影したりしていた経緯があった。それでも、メディアで報道されるのは、脈絡を無視した放水の部分だけである。

 おそらく、和歌山県警やマスコミが義憤に駆られて、眞須美を犯人にしようとしたのは事実なのだろう。しかし、両者が互いの行動をあおりながら暴走していったのもまた否定しようがない。事件から20年の区切りがついた年に、もう一度公平な目で事実だけを振り返ってみるべきではないだろうか。

文=石塚就一